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「麻布獣医学園発祥ノ地」

軍馬育成から始まった獣医教育

★ジャンル【学校】
★場所 港区南麻布2-9-22
★最寄駅 都営三田線、東京メトロ南北線白金高輪駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「学校法人麻布獣医学園麻布大学の前身は、明治二十三年(1890年)九月十日。東京獣医講習所として、帝国大学農科大学助教授與倉東隆によって開設されました。東京市麻布区本村町二〇四(日東山曹溪寺境内)にできた私立慈育小学校の一部を借りて校舎とし、全国から選抜推薦された獣医師に六か月間、解剖、生理、薬物、内科、外科、装蹄、病院実習、装蹄実習を教授しました。明治二十七年(1894年)一月に麻布獣医学校と改称し、同二十八年(1895年)十月には、與倉東隆がすでに開設していた東京家畜病院がある麻布区新堀町に校舎を新築移転しました。その後、明治四十五年(1912年)三月に、麻布獣医畜産学校、昭和九年(1934年)四月に麻布獣医専門学校、同十九年(1944)十二月に麻布獣医畜産専門学校と改称しました。昭和二十年(1945年)五月、戦災により学園諸施設を消失したため、神奈川県相模原市に移転し、同二十五年(1950年)に校名を麻布獣医科大学として開学し、昭和五十五年(1980年)麻布大学と改称し、現在に至っています」

★解説
 「肢体不自由教育発祥の地」の碑があった絶江児童遊園の向かい、曹渓寺の門脇に建っています。東京市立光明学校があった新堀小学校の前身が解説板にある慈育小学校でした。ですから東京獣医講習所が間借りした校舎をのちに光明学校が利用したのですね。のちに自前の校舎が造られた麻布区新堀町は名前でわかる通りすぐそばです。やや南東のインターナショナルスクールがあるあたりです。
 近年話題の獣医大ですが、明治維新後に獣医教育はさかんになります。それは軍馬の需要、特に騎兵の充実のためのものでした。自動車などの機械化部隊が中心となる第二次大戦あたりまでは、敵陣を突破する機動戦力としては、騎兵が最重要でした。そのため明治政府も騎兵の充実に腐心しますが、日本の在来馬では欧米の大型馬にまったく対抗できません。そのため優秀な海外の馬を輸入し、牧場を造り、競馬を取り入れて優秀な馬の繁殖を奨励したりします。そして繁殖や病気から守る為に獣医が必要になってきたのです。
 現在獣医というと犬猫のお医者さんを思い浮かべますが、明治の頃は圧倒的に馬、軍馬です。
 砲兵の発達、機関銃陣地の浸透で騎兵隊は廃れていきますが、輸送手段と

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