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奇抜がてんこ盛りの臥龍山荘/明治期の繁栄残す古い町並み/大洲市

「日本の城下町を愉しむ」一覧
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★都道府県 愛媛県
★城郭 大洲城

 大洲城下町は、市内を流れる肱川がS字に蛇行する内側に抱えられるようにして建ち並ぶ。ほぼ碁盤の目のような街並みの西の端、川に面して大洲城がそびえ、その反対の端、東のどん詰まりには臥龍山荘がある。大洲の城下町歩きは、ぜひとも一番東端まで歩き通してほしい。この臥龍山荘こそ大洲で必見の場所なのだ。
 臥龍という名は、山荘の前にそそり立つ中洲状の岩山が、横たわる龍のようだということで大洲藩の殿様がつけた。そのような景勝地であるから、江戸時代には藩主の庭園があったようだ。それ以前、戦国時代末期には、多くの大名家を渡り歩いた「槍の勘兵衛」こと渡辺勘兵衛(わたなべ かんべえ)の屋敷があったという。
 明治以降は荒廃していたものを、大洲周辺特産の木蝋(もくろう)の輸出で巨万の富を得ていた地元の商人河内寅次郎(こうち とらじろう)が手に入れ、山荘を建てる。1897年ごろから工事を始め、最初の建物不老庵が完成したのが1901年。最後の臥龍院が完成したのが1907年と足掛け10年以上を要した建物だ。 
 臥龍山荘はどこもかしこも驚異に満ちた建物だが、まず門をくぐったところから驚かされる。右手上にある建物の土台石垣の中から、太い木がにょっきり伸びている。これは元から生えていた木の周りに石垣を積んだそう。その先石段を登った脇の石垣は長い石を連ね、流水を表す。よく見ると椀状になった石と、丸い石臼がはめ込まれている。船と月なのだろう。発想がすごい。
 入ってすぐの臥龍院には3つ部屋があり、どれもワンダーなのだが、特に霞月の間。縁側は何の変哲もないようだが、実は松の巨大な一枚板に筋を掘って、わざわざ材を組み合わせたように見せている。床の間の違い棚に富士

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