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「野菜の促成栽培発祥の地・砂村」

江戸初期にはすでに「温室」があった

★ジャンル【農・食】 
★場所 江東区北砂2-1-37
★最寄駅 東京メトロ東西線南砂町駅

これまでの23区発祥の地一覧

★解説文
「野菜の促成栽培は寛文年間(1661〜73)の頃、中田新田の農民、松本久四郎が考案したと言われています。初物を食べるというぜいたくが広がり過ぎると、農家は米麦など基本食料の生産よりも、高く売れる初物づくりに力を入れるようになり、また、庶民のぜいたくは、身分制度をゆるがすことになるとして、江戸幕府はたびたび、出荷日を統制する法令、促成栽培禁止の町触れを何回も出して、取り締まりました。この促成栽培の方法は、ゴミを堆積すると醗酵熱が出るのを利用し、江戸市中から出るゴミ(江戸ゴミ)を堆積、この熱を利用して早く野菜の種をまくことで、収穫が早くできるようになりました。明治維新以後には一層盛んになり、昭和に入って産地の中心が江戸川方面に移るまで続きました。江戸ごみという都市廃棄物を農業生産に活用した、見事なリサイクルが昭和30年代まで展開されてきた事実にも驚きと先人の苦労が偲ばれます」

★解説
 南砂町駅から明治通りに出て北に向かいます。15分ほど歩いた境川交差点の角に「志演尊空(しのぶそんくう)神社」があり、その境内に建っています。
 促成栽培というと、野菜や果実の温室栽培を思い浮かべる方が多いと思います。さていつ頃始まったのでしょう? 戦後の高度成長期? とんでもない。江戸時代前期にはすでに江戸近郊のこの辺りで野菜の促成栽培が始まっていたのです。びっくりですね。なんでそんなことになったのでしょう?
 江戸時代に初物がもてはやされたのは皆さんもご存知でしょう。初鰹が珍重されたのは有名です。カツオ以外にも酒、そば、松茸、茶などを少しでも早く食べようと江戸の人たちは競いました。
 そして野菜ではなぜかナスが人気でした。徳川家康が好んだ、という伝説もあります。八百善という高級料亭は、客から見たこともないとにかく贅沢な茶漬けを、との注文に、一膳一両二分、現代のお金にすると15万円ほどもする品を出しました。この中にはナスが入っていたのですが、この品を出したのは冬で、普通ならばナスは取れません。
 そこで八百善は事前に温かい伊豆諸島の新島の南斜面に畑を造らせ、そこから運ばせたといいます。めちゃくちゃな手間ですね。
 このように早く出せば出すほどナスは高く売れたので、江戸近郊の農村で

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