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学校に行けなくなった。ブランドを始めた。

こんにちは。クロコです。
いつも記事を読んでくださってありがとうございます!

今日はプライベートなことについて書くつもりです。私が学校(大学の研究室)に行けなくなってからハンドメイドのインテリアブランドを始めるまでのことについて書こうと思います。学校に行けなくなった時期と、ブランドを始めた時期がぼんやりと重なっているところもあり、読みにくいとは思うのですが、お暇なときに読んでいただけると嬉しいなと思います!

私と同じような人の、一歩踏み出す勇気やきっかけになればいいなと思い、「大学に行けなくなった。ブランドを始めた。」を書こうと思います。

下の記事も読んでいただけると、「こいつ大学辞めたかっただけなんじゃね」という点にお答えできると思いますので、読んでいただけると嬉しいです。

クロコの経歴

私は現在、建築系の大学院1年生です。意匠と呼ばれる建築のデザインの研究をしています。
建築の研究室だと、基本的に所属している学生は設計等のプロジェクトに関わっています。教授から各生徒に仕事が振り分けられます。会社の社員さんみたいな感じです。しかし私は全くプロジェクトを持っておらず、ただ論文を書くために研究室にいるというイレギュラーな立ち位置にいます。

また、ハンドメイドサイトで「Kuroco Architects」という名前で家具やアクセサリーを販売しています。

学校に行けなくなった

私が所属している研究室はとても忙しい所で、プロジェクトが隙あらば詰め込まれており、会議前日の徹夜は当たり前。一番苦しかった時は、2時間程度の睡眠の日が5日間続き、2徹で提案をまとめた後、夕方に教授にプレゼン。「明日の朝のミーティングまでに案を練り直してほしい」という事もあり、結局3日間徹夜しました。金銭的報酬はゼロ。設計を極めるためにやっているようなプロジェクトでした。

もともと、自分は建築の設計が得意だと思っていました。課題での評価もよかったし、コンテストで入賞したこともありました。評価されることが、設計に打ち込むモチベーションになっていました。しかし、設計をやっている時に心から楽しいと思ったことはありませんでした。

しかし、どんなに忙しくても楽しそうに「設計が好きだ!」と言っている同期を見ると、心が空っぽな気分になりました。好きなことに時間を使い、どんどん成長していく姿に嫉妬しました。「努力」は「好き」には勝てません。結局このまま評価されるために、惰性で設計をやっていても、「好き」でやっているこの人達には置いておかれるだろうなと思った時に、私の中で一番の「好き」ではない設計にこれほどまでの時間を掛ける意味があるのだろうかと思いました
これ以上設計に時間とエネルギーを使うことが、人生の中で意味を持つのかわからなくなりました。時間とエネルギーを使うべきことは他にあるんじゃないかと思いました。

設計に時間を使う事への姿勢が揺らいだ時、ちょうど今までで一番と言っていいほどの忙しい時期が重なりました。モチベーションはゼロでした。

設計について話したくない。仕事を振られたくない。もう設計に時間とエネルギーを使いたくない。隠れるように家でテレワークをする日が増え、仕事へあまり貢献できない自分に罪悪感を覚え、研究室のドアを開けるのが怖くなり、大学に次第に行けなくなりました。

小さなミス、体の不調が増えた

家でひきこもるように作業をする日が増えた頃、体の不調や小さなミスが増えました。
瞼の痙攣や頭痛が頻繁に起こるようになりました。話すときに言葉が詰まるようになりました。お店での買い間違いが増えました。いつも通りに商品に手を伸ばしているはずなのに、かごを見ると違う商品が入っているという事が増えました。一個だけ手に取ったはずなのに、レジで見たら二個取っていた。そんなことが頻発していました。

病院に行って何かしらの不調があると診断されたら、どんなに楽になれるかと思いました。

「大学を辞める」と教授に伝えた

設計以外のことに時間を使いたいという想いもありましたし、このまま設計を続けていたら確実に壊れると感じ、まずは学内のカウンセラーさんに相談しに行きました。
退学することが就活に関してデメリットになること。せっかく高い入学金・授業料を払って大学院に行かせてくれた親に申し訳ないということ。不安なことや悩みについて相談しました。カウンセラーさんは「自分が壊れてしまっては元も子もないから」と言ってくれました。とても救われました。

その後、教授に大学を辞めようと考えているという事を伝えました。

教授と話し合い、すべてのプロジェクトから抜け、論文とハンドメイドブランドを作る事に専念するという形で、結局大学院に残ることになりました。

ブランドを始めた

すべてのプロジェクトから抜けた後、自由に使える時間が増えて、自分が本当にワクワクすることを見つける余裕が生まれました。

やはり私はインテリアがやりたい。そう思いました。
ハンドメイドブランドを始めるためにお金が必要だったので、設計系の本はほぼ全て売ってしまいました。ただ、インテリアの本は一冊も手放せませんでした。

本を売ったお金や今までの貯金を使って、溶接機を買いました。
とてもワクワクしていました。2023年7月、初めて自分の作品として、スツールを売り出すことが出来ました。今までわかっていたのに挑戦してこなかった、中学校時代からの夢でした。

毎日が楽しくなって、ミスや体の不調もなくなりました。

競争で勝つためではなく、人のために自分の好きなことをできる。自分の好きなことで喜んでくれる人がいる。そんな世界があることを知りました。
ブランドを作って本当に良かったと思います。

補足:なんで大学院をやめなかったのか

理由は地元を復興するための論文を書きたかったからです。

今まで、自分の評価のために自分の力を使っていました。
しかし、私の地元について書いた卒業論文を地元の方に聞いてもらう機会があり、とても喜んでくれました。その出来事が「自分以外の人、物、事」のために自分の力を使う嬉しさを教えてくれました。

もう一つ論文を書く理由があって、一つ下の後輩の卒業設計の発表会を見に行ったんです。
その中には、私の卒業設計にとても似たものがありました。
「パクってるやん!」と怒っているわけではなくて、「自分の考え方に共感してくれる人がいる」という事が分かり、自分のやったことが人の役に立ったんだと気づくことができました。

まとめ

読んでいただきありがとうございます。思っていたことを書きなぐってしまい、稚拙な文章で読みにくい所ばかりだったと思います。。。

このブログを読んでくださっているという事は、「自分がほかにやりたいことがある」という事に気づけているという事なんだと思います。自分のやりたいことに気づくのは、とても難しいことです。一つの才能でもあると思います。
今、あなたが思っている直感を信じてあげてほしいと思います。私も駆け出しですが一緒に「好き」にむかって走っていきたいと思います。

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