そもそも己という存在自体が迷妄なのではないかという問題がある。確固たるものか、それとも妄想なのか。どちらにしろ、今ここにあるあるがままの生を、真剣にこなしていくのだ。生に三昧する。そうすることで私は言葉ではなく実感として、己が何だったのか死の間際に分かるかもしれない。

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