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祖父のことをあまり思い出せなくなっている

わたしが小学生のころに死んだ祖父について、記憶が曖昧になってきている。強く思い出されるのは、晩年入院していたころの景色で、医療機器のチューブとか、消毒用アルコールの匂いとか、面会のために白衣を着たこととか、断片的で味気ないものばかりだ。

そんな中でもいくつかは、祖父と過ごした記憶が残っているし、それはカラーの映像を伴って思い出せる、ような気がする。特に印象深いのは、銭湯に行った時のことだ。

銭湯は恐ろしいところだ

小学校に入ったばかりか、入る前くらいのこと。祖父と、ひとつ上の兄と銭湯に行った。わたしたちは、あまり落ち着きのない兄弟で、祖父が目を離した隙に、騒いではしゃいだ。銭湯での所作など心得ているわけがない。

その結果、知らないおっちゃんにしっかり怒鳴られた。今ではあまりないことかも知れないが、当時ではそんなに珍しくもなく、わかりやすい展開である。

もちろん泣いた。何とか落ち着いた後、お湯が熱くてまた泣いた。銭湯とは何て恐ろしい場所なのだろう。二度と来るもんかと思っただろう。

湯上がりに飲む物

いまでこそ、銭湯の湯上がりには牛乳を選ぶわたしであるが、当時は牛乳瓶を1本飲み干せなかった。 祖父はわたしたち兄弟にヤクルトを買ってくれた。

祖父は湯上がりに、周りのおっちゃん達と大相撲を見ていた。あの頃はたぶん、北の湖とかが強かったはず。片手には牛乳瓶を持っていた。

わたしが飲んだヤクルトは、容器の形こそ牛乳瓶に似ているが、子どもの飲み物だ。大人になったら、銭湯で牛乳が飲めるんだと思ったし、大人になったら銭湯で怒られずに済むと思った。

本当に自分の思い出なのか

このエピソードも、自分の記憶にあるものなのか、兄や家族から聞いたものなのか、正直なところわからない。

それでも、銭湯で二十六番の下足札を取るたびに、風呂場で騒ぐちびっ子を見かけるたびに、少しだけ祖父のことを思う。

銭湯でのマナーを学び、湯上がりには牛乳を一気飲みする程度には、大人になったのだと思っている。

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