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見合う人とは限らないという話

人の上に立つ人物は必ずしも優れた人物、その地位に見合う人物とは限らない。

某市の学生がいじめ問題を苦に自殺したニュースを見ていてそう思う。

その学生は学校や教育委員会に被害を繰り返し訴えていたが、まともに取り合ってもらえなかったのだそう。

私が印象に残ったのは、教育委員会の奴が自殺した学生の家に訪問した時の出来事。

自分達は今調査の対象だからと答えられない、反射的に答えるとそれを後で掘り返されると答えていた。

その方が第三者からみても心象は悪いし、思っていることを反射的に答えると何か後で不利になるようなこと思ってんのかいって私は思ってしまった。

何よりも自殺した学生のことより、自分達の立場第一という印象を受ける。

自分のことを第一に考えるのはある意味当然と言えるが、自分達の不手際から起こったかもしれない学生の自殺。

その自殺した学生の母親の前でよくあんな態度を取れるなと逆に感心しちゃう。

一人の大人として恥ずかしくないのだろうか?

それとも体は大人、心はこどもだからそういった所に頭が行かないのだろうか。

自殺という道を選ぶことが良いとは私は思っていないが、今回の様に自ら動いても周りの大人が協力してくれない現実は想像し難い苦悩だっただろう。

こうやって大人はこどもから憧れられる対象ではなく、失望される存在になっていくのかもしれない。



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