2020年9月 与論島

画像1 与論島は44年前、学生時代に訪れて以来。干潮時だけ出現する百合ヶ浜。ほんの少し遅かった。沖合の浅瀬に出ていた浜は、潮が満ち始めて波の下に隠れていた。
画像2 那覇港からマルエーフェリー鹿児島行きの船に乗って与論へ向かった。沖縄と奄美の間は特別割引運賃が適用されて安くなっていた。
画像3 船から眺める沖縄本島北部、やんばるの陸地。海も空も真っ青、そこに見事な雲が湧いていた。
画像4 船の左手には伊是名島、伊平屋島が見える。いずれその島々にも渡らなくてはならない。
画像5 海の色が凄まじい碧だった。時折、トビウオだろうか、白い泡の跡を破線状に残して散っていく。もう少し大きな魚影も見えた、ような気がする…。
画像6 那覇港を出て約5時間、与論の港が近づいてきた。44年前にはこんな立派な埠頭はなく、神戸から延々乗ってきた船から小さな艀に乗り換えて上陸したが、艀に移った途端大揺れして船酔いした。
画像7 与論の宿はできてから数年しか経っていないイチョーキ・ヴィラ。空港からも港からも近く、町の中心にも歩いて12~3分ほどの立地。
画像8 コロナ騒動は落ち着いた頃か、と思って来たけど、まだ閉めている店もあり、昼飯はTUKTUKという比較的大きな居酒屋で、パパイヤ炒め定食を食べた。ミミガーとパパイヤを炒めてあり、なかなか美味しかった。
画像9 すぐ近くに、島唯一の醸造所、有村酒造があった。醸す黒糖酒は島有泉、昔来た時に絶対吞んでいるはずなんだけど。その味までは覚えていない。スナックで地元の若者と一触即発になったが最後は仲良くなって酔っ払ったことしか覚えていない。
画像10 少し高台から眺めた海に隠れた百合ヶ浜。ボートで往復すると3000円。オヤジは今行けば膝ぐらいまでで立つことはできると熱心に口説かれた。が、当然行かないよ。
画像11 与論城跡の高台から島の南側を眺める。サトウキビ畑の向こうに海、その向こうには雨雲が立ちこめた伊是名島、伊平屋島。
画像12 与論城跡に隣接するサザンクロスタワー。民俗資料や自然関係など各階毎に展示がされていて最上階は展望フロアとなっていて360度の眺望が楽しめる。
画像13 サザンクロスセンターの一角に与論島を死ぬまで愛し続けた作家、森遥子の部屋がある。
画像14 これもサザンクロスセンターの展示。与論島の伝統行事、十五夜踊り。ビデオによる祭りの紹介も流れている。1年に3回行われるが、今年はどうしたんですかと受付の職員に訊いたら、8月は無観客で行ったという。10月も催行予定だが、無観客にするのかどうかは分からないとのことだった。
画像15 赤崎鍾乳洞は思ったより奥が深かった。写真は千枚田と呼ばれる場所。小さな1枚1枚の田が重なるかのようになっている。この場所で足下に張られていた電線につまづいて天井に頭をぶつけてしまった。たんこぶができ、血がにじんで数時間後まで治まらなかった。
画像16 鍾乳洞の中の天井にサンゴの化石が張り付いていた。水が湧いていて、排水用のパイプから時折ゴボッと噴き出して驚かされた。
画像17 空港の滑走路の先、夕陽が海に沈む様子を見ることが出来た。自転車で来ていた若い女性二人と一緒に、この美景に見とれてしまった。
画像18 翌朝6時、東の空が紅く焼けていった。この日、道東へ行っていた友人があちらの朝日をFacebookにあげていたので、与論の朝焼けを返したら、共通の知人が、こいつらは何をやっているんだ、と呆れかえった様子のコメントが付いていた。
画像19 朝の海岸、軽トラで乗り付けた若者が、荷台からボードを下ろすと、すっとそのまま海に入って、パドルをあやつり海の上を滑るように沖へ出て行った。SUPがどうしたこうしたでなくて、その実にさりげなさがめちゃくちゃカッコ良かった。たぶん天気がいい日は毎朝そうして海に出てるんだろうなと羨ましく思えた。
画像20 島の真ん中の少し出っ張った高台に舵引き丘(ハジピキパンタ)がある。与論島誕生神話が伝わる地。伊平弥島がよく見えた。
画像21 島の東北に位置する品覇海岸。絵に描いたような美しいビーチに、レンタカーで母娘が来ていて、誰もいないビーチを楽しもうとしていた。もちろん、写真を撮ったら早々に退散した。
画像22 島の西側に森遥子さんのお墓があった。ご本人の意向で島に納骨されたという。ガウディのような鮮やかなタイル張りの柱が印象的。
画像23 百合ヶ浜に面する大金久海岸の南端、干潮時だけ現れる岩のトンネル、別名ビーチリングは、カップルが手を繋いでくぐるとずっと一緒にいられると言われているそうな。
画像24 トベラの花に留まっていた色鮮やかな蛾、かな。初めて見た。名前をネットであれこれ調べたが、画像検索でも様々なキーワードで検索しても、不明。ご存じの方、教えて下さい。
画像25 与論民俗村。昔の民具などを収蔵展示していて、村長自ら案内して解説してくれる。たくさんの甕は酒や酢などの貯蔵用に使われていたもの。別の収蔵庫にこれ以上のコレクションがあるそうだ。村長さんは今では使う人も少なくなった与論方言を守り伝える活動もしている。
画像26 サトウキビを搾る道具。牛が引いて回す。歯車の所にキビを入れて汁を搾る。
画像27 村長のお母さんは代々継承された芭蕉布を織っていて国指定無形民俗文化財に指定された。民具なども国が文化財に指定しようとした時に、それまで見向きもしなかった町があわてて文化財に指定したそうだ。
画像28 なぜかヨロン駅という駅が海辺にある。JR九州が車輪を寄贈したという。
画像29 青いサンゴ礁という店で食べた、名物のモズクそば。島バナナは自由に食べて下さいと、大きな房が置いてあった。
画像30 帰りもマルエーフェリーで那覇港に戻った。

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