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猪木vsアリ戦と都知事選の深い関係。

44年前の今日(1976年6月26日)に行われたアントニオ猪木vsモハメッド・アリの異種格闘技戦と都知事選挙には、今日に影響を及ぼしている深い関係があるのです。この試合は格闘技世界一決定戦として、日本武道館で開催されました(当時、私は小学1年生)。日本のプロレス界のスーパーヒーローと、世界最強のボクサーと称えられ、アメリカ、黒人社会、イスラム世界象徴であったボクサーの試合は、世界中から注目されが、スリリングな真剣勝負の末、15ラウンドを闘い引き分け。当時「世紀の凡戦」とも評されましたが、今日では高く評価され、世界で隆盛の総合格闘技の礎とも言われています。

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この一戦を、当時、NHK「ニュースセンター9時」の人気キャスターだった磯村尚徳さんは「NHKが報道するまでもない茶番劇」と酷評します。磯村さんとしては「プロレスは異種格闘技戦も含めて、エンターテイメントである」という裏事情を知っての発言だったのかもしれませんが、実はこの一戦、筋書きもない、いわゆる八百長でもない「真剣勝負」だったのです!大借金を抱えながらもこの試合を実現し、命がけの闘いを「茶番劇」と評された猪木さんの心中は、察しても余りあります。

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命がけの真剣勝負を「茶番劇」と侮辱されてから15年、1991年(当時、私は大学1年生)の都知事選に、磯村さんが自民党"本部”推薦で立候補を表明。磯村さんへの恨みを抱き続けていた猪木さんは、対抗馬として立候補を表明。当時の猪木さんは、スポーツ平和党を結党し、参議院比例代表で立候補し、約100万票を獲得し見事当選。直後に発生したイラクのクウェート侵攻(その後湾岸戦争に)で、イラクのサダム・フセイン大統領が在イラク外国人を人質に捕ることに…。何もできない日本政府、外務省を尻目に、人質家族とイラクへ渡航し、芸術・プロレスのイベントを敢行、フセイン大統領の長男はじめ、イラク高官と交渉し、日本人を含む全外国人の人質解放を達成し、国民的英雄になっていました。

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ちなみに、どうして、いち国会議員、プロレスラーの猪木さんが人質解放が出来たのか?その背景には、イスラム社会の英雄であるモハメッド・アリと闘い、パキスタンの格闘技の英雄、アクラム・ペールワンと闘い勝利した(どちらも真剣勝負)猪木さんに対するイスラム圏における知名度、尊敬、人的パイプがあったと言われています。

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ちなみに、政府、外務省は人質家族や、日系航空会社に圧力をかけ、猪木さんの動きを妨害したそうです。そのため、チャーター機は日航や全日空ではなく、トルコ航空でした。

当時、自民党は都連が現職の80歳の鈴木俊一さんを推薦、磯村さんを小沢一郎幹事長の自民党本部が推薦、分裂選挙になっていました。票の分散を恐れた自民党本部は猪木さんを説得し、出馬を断念させます。かねてから猪木さんと親交のあった福田赳夫元首相が説得にあたったと言われています。

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80歳、高齢批判があった鈴木俊一さんでしたが、前屈パフォーマンスを披露、都民から好感を得ます。スマートなイメージがあった磯村さんは、庶民派イメージの演出のため、銭湯でお年寄りの背中を流すシーンを報道陣に公開、61歳のインテリの裸体は、都民を失望させ、鈴木さんが大差で当選を果たします。

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この銭湯パフォーマンスの発案者は、プロレス会場でコミッショナー代理をしていた野末陳平さん(当時・参議院議員)でした。しかし野末さんは、銭湯に行くことを進言したが、浴場内にカメラを入れてしまうとは、想定外だったと証言していました。

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その後の選挙結果の分析では、猪木さん率いるスポーツ平和党は磯村さんを推薦したにも関わらず、猪木さんに投票しようとしていた有権者のほとんどは、鈴木さんに投票したという結果が判明。猪木さんが出馬していたら、磯村さんが僅差で当選という研究がありました。候補者調整の難しさを象徴するケースだそうです。(以前、論文を読んだことがあったのですが、見つかりませんでした…。)猪木vsアリ戦を酷評したことで、15年越しに多くのプロレスファンが「アンチ磯村」になってしまったのでした。この選挙の引責で小沢一郎さんは幹事長を辞任、後の自民党離党、非自民細川連立政権へとつながっていきます。細川護熙元首相が、小泉純一郎元首相の支援も得て、2014年に都知事選挙に出馬し、舛添要一さんと争うことになるとは、誰も予想できなかったでしょう。

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また、猪木さんの出馬撤回に失望した内田裕也さんは都知事選に出馬し、ビートルズとエルヴィス・プレスリーの楽曲の歌唱からはじまる、全編英語の歯茎吸着音を多用した、誰もが唖然としてしまう政見放送を行います。

この1991年の都知事選挙がきっかけとなり、その後の都知事選挙が、候補者乱立、知名度重視になったとの声もあります。1995年の都知事選挙では青島幸男さんがまさかの当選(大阪府知事は横山ノックさん)、都政を大きく後退させます。1999年に石原慎太郎さんが圧勝で当選。その出馬は「後出しジャンケン」と言われ、石原軍団の俳優さんを選挙に動員しました。その後、猪瀬直樹さん、舛添要一さんが相次いで不祥事で辞任することとなり、小池都知事が誕生しました。

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2020年、コロナ禍の中、迎える都知事選挙。多くの人が難しい判断を迫られそうです。
最も支持する政策を掲げる候補者か?
政策実行能力も含めて判断するのか?
当選しそうな候補の中から消去法で決めるか? 
当選して欲しくない候補者の有力対抗馬か?
コロナ対策の一環で棄権するのか?
皆さんは何を基準に投票しますか?
あらゆる選挙が知名度、話題性、組織力ではなく、政策と政策実行能力を評価するものであって欲しいと、心から願っています。

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猪木さんの人質解放を伝える当時のテレビ

内田裕也さんの政見放送



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参考Webサイト



画像引用

http://battle-news.com/?p=21815 
https://24.media.tumblr.com/tumblr_lhwxy8FrrV1qetjf6o1_500.jpg http://www.asahi-net.or.jp/~YF7M-ON/ https://mainichi.jp/graphs/20160414/hrc/00m/050/002000g/27 http://agora-web.jp/archives/2019287.html https://rubese.net/lpedia001/target.php?name=%E5%B0%8F%E6%B2%A2%E4%B8%80%E9%83%8E&id=139821


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