ツイッターを辞めた理由と再開した理由

こんばんは、昼間に近所を散歩していたら、ご近所さんから変な目で見られてしまう栗山陽輔です。
田舎の住宅街では、いい歳した男が歩いていること自体が珍しいことだったりするのですね。車社会ですから。
でも散歩ぐらいしたくなる時だってあるんだい。

今日は「ツイッターを辞めた理由と再開した理由」というテーマでお話しさせていただきます。

僕は2011年からツイッターを利用していました。なんだかんだ続いていたのですが、去年の10月に一度きっぱりとツイッターを辞めました。実際、8年以上続けていたアカウントも削除してしまいました。まず、どうしてこの時ツイッターをやめてしまったのかというと、ツイッターに僕が期待していたSNSとしての機能がないことに気が付いたからです。正確に言えば、ないわけではなかったのだけれど、時間の流れの中でなくなってしまった機能と言えばいいのかもしれません。
そうは言っても僕がツイッターというSNSを全く使いこなせていなかったことが主な原因なのですが。

SNSを使う理由は人によって様々でしょうが、僕の場合、ツイッターを利用する理由は発信と宣伝でした。使い始めた当初は情報収集が目的でありましたが、映画を作りはじめてからは宣伝ツールとして利用するようになっていたのです。

しかしながら、今のツイッターには広告としての機能はほぼないに等しくなっていると思います。

TLには多くの、莫大な情報が毎日流れ、多くのクリエイターや発信者の方々の活動、宣伝が大量に流れてきます。あくまで僕個人の話ではありますが、僕はいつからか他人の宣伝や公演情報などに一切の関心を抱かなくなりました。

ツイッターでの宣伝というのは、発信者側からするととても便利です。昔、SNS等なかった時代には、役者をやっていた時に公演情報を友人知人に直接メールで送っていたものでした。それ自体にもかなり手間がかかることですし、何より一人一人に送ることになるので、当然ながら相手によって文面を変えたり、挨拶も変わるし、中には何かの話題に触れたりしなければおかしくなってしまうこともあります。
ですので、かなりの精神的負担と労力を伴うことになっていたのですが、ツイッターなどのSNSが登場してからは公演情報を呟くだけである程度は事足りてしまう。つまり誰もがライトに情報を発信できるようになった。
それ自体は素晴らしいことだと思うのですが、同時に情報自体がライトなものになってしまったとも思います。
ライトに発信されるのですから、発信された情報がライトになるのは当然のことだと思います。

つまりTLという多くの方に同時に投げる形の情報には、誰かにその情報が引っかかるためのフックが取り除かれていることが多くなったのですね。

今のツイッターで流れている情報というのは、元々その人や団体等にエンゲージメント(関心)が高い人に向けてのものになっています。元々のエンゲージメントが高くなければ一切興味を抱かない可能性が高いものになっているのです。

これはつまり、昔は情報を得る側は、例えば好きなアーティストの情報を得るために毎日そのアーティストのHPを開き、新しい情報がないかとチェックしていたものですが、その必要性をなくしたもの、情報を取りに行くという手間を省くために機能しているツールに、今のツイッターはなってしまったのだと感じるのです。
そりゃそうですよね、誰かのことが気になったりファンになったら、とりあえずその人をフォローしておけば、基本的に情報を取りこぼすことがなくなったのです。

ツイッターというプラットフォームの長所はアクセスのしやすさ。
だからこそ日常的にツイッターにアクセスする現代人は、ツイッターに流れてくる元々知りたい情報を取りこぼさないためのツールとして利用しているのだと思ったのです。
だからこそ、同時に多くの情報をスルーする能力が高くなったのではないかと思います。

ですので、ツイッター上では拡散というものがほぼ意味をなさなくなった。たとえ一部のツイートがバズったとしても、変な言い方をすればそれは一発ギャグのようなもので、一過性しかありません。
ツイートがバズったとしても、フォロワー数が同数増えるわけではなく、もしフォロワー数が増えたとしても、エンゲージメントが高くなければ意味はありません。多くの場合、一度フォローしたけれどわざわざフォローをはずすのが面倒なのでそのままにしているだけになります。

フォロワー数の多さが社会的評価に繋がるような時期は確かにあったように思いますが、そんなものはもう今ではほとんど通用しなくなりました。まぁ、完全になくなったとは言い難いですが。

そんなこととか、他にも考えたことはいくつかあるのですが、そんなこんなでツイッターを宣伝ツールとして期待していてはダメだなと気づいてからも、なんとなく惰性で続けていました。
ですが、やはりライトに情報を発信できる場というのはとにかく便利で便利すぎたので、だんだんと、これはいかんなと思うようになったのです。
とりあえずアカウントを残しておけば、何か情報を出したいときに出しやすいから、なんて考えていると、これは一切他のアイディアが出ることもないし、新たな勉強もしなくなるなとなんだかんだ悩んでしまい、一回すっぱり辞めてしまおうと思って辞めたのが去年の10月です。

実際やめてみると、意外と何の不便もなく生活していたのですが、「じゃあ他に宣伝とか広告とかの手段ってあるのか」とか、あるとしたらどうするかとかを真面目に考え始めるきっかけになったのですね。それで何だかんだあった末に結局去年の12月にツイッターを再開したのです。

そして再開に至るまでどんなことを考えたかを書こうと思っていたのですが、長くなってしまったので今日はここまでにしておこうと思います。ツイッターをやめてから、再開するまでの考えの変化のようなものはまた後日書きます。

何にしても、便利であることは別の角度からの発想が生まれにくくなってしまう可能性もあるのだとしみじみ感じている今日この頃です。

好き勝手書き連ねていますが、ツイッターというものを批判する気持ちは一切ないので誤解なきよう。あくまで僕個人の認識の変化の話であります。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。

それでは皆さん、よい夢を。

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