お金に関する話

クリストフルメールとか、ジャンポールゴルチエとか、マルタンマルジェラとか、世界的なファッションデザイナーというのはどうしてこんなにも名前自体がカッコよすぎるのかと考えている栗山陽輔です。
さて、僕はファッションセンスがあるわけでもなくオシャレな人間ではないのですが、一応季節ごとに新しい服を買うようにはしています。ブランドものを買うことなんてありませんが。
何を買い、何を買わないか。ちょっと俗っぽく受け取られてしまうかもしれませんが、今日は僕の「お金」に関する考え方を書いていこうかと思います。

今の時代、お金というと何故かずっとネガティブな言葉が付きまとっている気がします。不景気だ不景気だと何年言われ続けているのか(僕は生まれてから景気がいいという時代を経験したことがない。一応バブルがはじける頃には生まれてはいますが年齢的に記憶がない)。賃金を上げろという言葉がSNSでバズっていたり、年金に関する悲観的な考えがでまわっていたり、少し前には手取り14万円がどうのという話題がありましたね。
個人的にどうしても腑に落ちないのが、お金持ちはなんとなく悪であるかのような風潮。特に最近は話題になる映画でさえも貧富の差を描くものが多いようにも感じられます。そりゃ確かに悪いことしてお金持ちになっている人はいるだろうけれど、お金持ちがすべて悪い人ではないでしょう。なんだかんだと色々なことに言及しているときりがなくてとても書ききれないので僕の話をします。

僕は去年の秋ごろに凄く自分の中の考え方が変わった時期があって、その時に「お金」に関する考え方も随分変わりました。
今もまだ勉強中で考え自体が変わり続けている状態なのですが、一番変わったのはお金の使い方、自分が動かすことのできるお金の流れを客観的、俯瞰的に捉えることができるようになったことです。
ややこしいですね。言ってて自分でもしっくりこないので、具体的に僕の状況について少し話していきます。

僕は自主映画監督です。映画を作るには自分でお金を用意しなければいけません。スポンサーがいるわけでもなく、大資本の映画会社に所属しているわけでもないからです。(だからこそ映画監督ではなく「自主」映画監督なのですが。)
映画を作りたい。映画を作るにはお金がいる。でも個人が用意できるお金は微々たるもの。だからこそ多くの自主映画監督は基本的に商業映画を目指します。
映画会社、スポンサーが用意した資金を使って、作品を作り、それを世間に出すことで利益を生み出し、それを資金提供してくれたスポンサーに、という一連のお金の流れの中に入って行こうとするわけです。もちろんそのお金の流れは膨大で、個人がどうこうできるレベルのものではありません。
だからこそその中に身を投じることを許されるためには、多くのお金を提供されるべき才能や技術が必要です。
本当に多くの才能ある映画監督がこの席を争っている。その状況を僕は自主映画監督の一人として見てきました。
僕にはそこで争って勝てるほどの才能はないだろうと思いました。幸いなことに才能がなかったのです。
これは「幸い」だったのです。もし争って勝てるかもしれないほどの才能が僕にあったとしたら、その熾烈な戦いの中に身を投じる思いを捨てきることはできなかっただろうと思えるからです。
僕はその戦いに真っ向から挑むことを辞めました。自主映画監督であることを受け入れたのです。違う場で、違う戦い方をしようと。戦い方自体を考え直そうと思ったのですね。つまりどうやって勝ってやろうかと、勝つ方法を真剣に考え始めたのです。

前置きが長くなりましたが、ここでまず考えるべきことが「お金」だったのです。そして、その時初めて自覚しました。
僕はお金のことをまるで知らないと。
それから勉強の日々が始まりました。今でもまだまだ勉強は続いていますが、おかげで色々と考え方も変わりました。
まず、何故僕はお金のことを全然知らなかったのか。僕は毎日仕事に行き、毎月給料をもらい、それを毎日毎日何十年も使ってきたのに。

単に勉強してこなかったからなのですが、では何故勉強してこなかったのか。
これは日本だけの話なのか世界共通なのかはわかりませんが、何故か映画や演劇、本や絵画、写真に至るまで、幅広い表現活動、芸術分野の世界の中では、お金に対する意識がとても低いからです。「芸術はお金のためにやるものではない!」という考えが無意識のうちに広がっているのですね。そういった中でお金の話をしようものならナンセンスなやつだと白い目で見られる。
酒の席でお金の話などしようものなら「お前は金のために芸術をやっているのか!」と言われる空気感が確かに存在する。
元々芸術というセンシティブな、感覚的なものが好きでその世界に飛び込み集まっている人たちですから、美談が好きなのは当然といえば当然だなと思えるのですが。しかしながらセンスや美談では腹は膨れない。
人間は食っていかなきゃいけないのですから。
ですから、むしろこういった表現活動に身を置く人間だからこそ、お金の問題をどうするかをしっかり考えるべきなのです。偉大な芸術家にはパトロンがいたように。

なんだかこれほどまで真面目な話をするつもりではなかったのですが、長くなってしまったので今日はこの辺りにして続きはまた明日に書いていこうと思います。
言いたいことがちゃんと伝わればいいなぁと思っている今日この頃です。

それでは皆さん、よい夢を。

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