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着物だけのうつ病から立ち直りはじめ、可能性は人の会話にあると知った。



今日は涼しいから着物を段ボールからタンスに移してます。

帯、帯あげ、半襟、足袋は、立てて柄と色が見えるようにしようと。
半幅帯は立てて収納していたけど、名古屋帯もたてて収納してみることにチャレンジしてみました。見えるようにすることで、フルに使おうとするし、コーデのアイデアもわきそうと思って。

着物だけに対してうつ病になっしまい、着物の整理は来年かもと思ったけど、こうやって少しずつ向き合えることが嬉しい。

着物だけに対するうつ病、たぶん新型鬱というものなのでしょう。
この経験から、人の可能性を奪うのは、何度も何度も繰り返される会話の中にあると学びました。
その方は無意識ですから、分からないでしょうし、私に対してもたくさんのことをしてくれて、わたしもたくさんのことを学ばさせてもらいました。

何度も何度も繰り返される会話の中に、わたしの上辺だけでバカにする言葉が冗談まじりであったのですが、後に着物への可能性を潰していく言葉が日常的になってしまい、それを真に受けてしまったわたしもわたしで悪い。
昨晩、自分の可能性は自分で活かすことができるということを確信できたのです。

失敗を恐れては何もできない❗ということ。

わたしの着付けの師匠は「着物を着ている人の悪口を言わない、わざわざ指摘しない。着ていることの素晴らしさに目を向ける」ということを、何度も何度も耳がタコになるぐらい教えてくださいました。

それをわたしは今でも守り続けていますし、そのことを伝えていきたいと、着物の整理をしながら思いました。

着物だけのうつ病は、本当にしんどくて、着物を着ようとすると発狂しそうになっていましたし、泣いたり、吐きそうになっていました。
あんなに大好きな着物がアレルギーのような反応を自分がしてしまうなんて···と悲しい気持ちで過ごしながら、少しずつ着物に前向きになれそうな時は、着物を着たりしてリハビリをしていた二年間でした。

物事の本質と人の本質が分かっている人は、可能性を見いだす力があるので、自分が心から好きでたまらないことを仕事にして、幅広くやっているけど、コアなものは同じである。

同じファッションでも、人から見られることばかりに気にしていると、ソコソコで終わる。
でもファッションそのものが好きな人というのは、ファッションを通した楽しく美しい可能性に目を向けていて、それを皆が楽しめるために何ができるのかを考え抜く力と実行する力がある。
だから、人の可能性を見いだせる。なぜなら自分の可能性を信じて生きていきた証だからだ。

最近はつくづく思う。
可能性を活かした話ができる人は少ない。文句というか、できない所ばかりに目を向けたことを話す人が世の中に多いんだと。

環境で人の価値観も育てられていくから、人を選ぶことをしないといけないし、それは会話の中にあるんだと。
わたしも気を付けないと思った。

わたしの本質を理解してくれた尊敬している美容師さんが、わたしのことを「あなたは、見るではなく、観ることができる天性がある」と言ってくれました。
とてもビックリしました!
だから観るですべてを見抜くことをしてもいいんだと、ホッとしたから、着物の整理が出来たのもあります。

着物。
昔のように無邪気に大好き❤️と言える日が来るように、少しずつ少しずつ着物生活をはじめていこうかと思います。
そして師匠の教えを広めたい。
師匠の教えは、着物の深さと愛を知ることだから。
書いてて気づいたけど、師匠の教えだけに目を向けていこう。
着物のうつ病になったキッカケをくれた人の言葉がずっと頭でリフレインしていたけど、自分がどこにフォーカスかで変われる。

昔は着付けの師匠の言葉だけがリフレインしていた。
あら!また一歩大好きな着物との向き合い方が分かったような気がした。嬉しい。

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