「おいしい」は食べる前から始まっている。
ホームベーカリーで焼いた食パンの形がどうしても好きになれない(すごく前の日記にも書いたことがあるのですが)、という話をスタッフにしたら、「そんなところにこだわる人は珍しいのでは」と言われました。
ホームベーカリーで食パンを焼くと、山型でも角型でもない、ちょっと筒型みたいな、「機械がおいしく焼くことに特化した形」で焼きあがります。
また、型の底にはパンをこねるためのプロペラがあるため、どうしても取り出す時に穴が開いてしまいます。
材料を投入するだけで食パンができてしまう、魔法のような機械ではあるけれど、そのできあがりの微妙な形に「…ときめかない。これは食パンじゃない…。」と違和感を感じて以来、ずっとホームベーカリーは生地を作るところまでしか使用せず、できた生地を型に入れて焼いています。
なぜそんな面倒なことを…と思われるかもしれませんが、あれは私の思う「おいしい食パンの形」じゃない、のです。
食べものに対して「おいしい」と評価するのは、「口に入れておいしい」ということだけではありません。「目で見ておいしい」というのも大切な条件だと思うのです。
ふっくらと小高い山のようにふくらんだおいしそうな山形食パン。
もしくは、角食パンの角のきりっとした角度。
それらを視覚的にとらえて「ああ、おいしそう」と思うわけで、「目で見ておいしい」というのは確かに実在するのです。
そして、私にはどうしてもあの微妙な筒型が「目で見ておいしい」とは思えないのです。
同じようなことが「スパイスカレーをフライパンで作りたくない問題」にも言えます。
スパイスカレーを作る時にまず、油にスパイスを入れて香りを出し、その後にみじん切りにした玉ねぎを入れて時間をかけて炒めていくのですが、厚手のホーローの鍋よりもフライパンの方が手早く炒めることができ、玉ねぎの甘みやコクを引き出せることから、「深めのフライパンで作ると便利」というのをよく聞きます。
でも、私にとってフライパンは「炒める」「焼く」ための道具であり、その後「煮る」という行為はやっぱり、鍋でやりたい。
「カレーは鍋で作る」という(ある意味固定観念とも言える)こだわりを捨てたくないという気持ちがあるのです。フライパンでカレーかぁ…と思うと、何というかこう、テンションが上がらないのです。
「そんなの食べちゃえば一緒じゃん」と言われるかもしれませんが、私に言わせれば「全然違う!」わけです。だって、食べる前から「おいしい」は始まっているのだから。
ジャムを作る時はルクルーゼやストウブの鍋を使うこと。
たくさん作ったお菓子を大きな瓶に入れて保存すること。
料理の盛りつけに気を遣うこと。
もっと言えば、「知り合いの農家さんの野菜で料理を作ること」「地元のうつわやお気に入りの窯元のうつわに乗せて食べること」も、
私のなかでは同じ「口に入れる前の”おいしい”」カテゴリに入るわけで、これはけっこうな比率で「おいしい」の基準に影響しています。
他人から見たらどうでもいいことかもしれません。実際、自分でも面倒に感じることがありますから…。でも、そこを省いて「味覚のおいしさ」だけを体感しても、どこか不完全燃焼になるのです。
例えば時間がない中で適当に料理をして、適当に盛り付けてぱぱっと食べてしまったとき。あ~、ちゃんと盛り付ければよかった、時間がないからってやっつけで料理しちゃった、そんな陰鬱な気持ちになります。
そんな思いをするくらいなら、お惣菜を買ってきてお皿に盛り付ければよかった。
せっかくの食べる前の「おいしい工程」をみすみす省いてしまった、と、後悔してしまう。
つまり口に入れておいしいかどうかは、その前の過程で「目で見ておいしい」「楽しく作れて嬉しい」といった気持ちがベースにあって、初めて成立するのだ、というのが私の信条。
「おいしい」に貪欲であるからこそ、細かなところにこだわってしまうのです。
例えば調理器具を選ぶときにも、「味覚的においしく作れるか」という問題だけではなく、「これを使っている時に私はどんな気持ちになるか」までを考えます。
「楽でいいわ~」が最優先になることはありません。「楽しい!」という気持ちになれることが何より大切なのです。
そんなに大層な食生活を送っているわけではありませんし、些細なこだわりではあるのですが、「絶対においしいものが食べたい」という貪欲さは持っていて損はない、と自認しています。
実は食が細くて一度にたくさん食べることができません。「食べたいんだけど、もう入らない…」となくなく食後のデザートを頼めなくて後悔したこと、数限りなくあります。
もうずいぶん前、スタッフたちと奈良に行ったとき、「くるみの木」でランチをいただき、お腹いっぱいになってしまってケーキが食べられなかったこと、いまだに根に持っています(いや、誰が悪いわけでもないのですが)。
そんなわけで、一食にかける思いが人より強いのかも。
「せっかく食べるんだからおいしくあってくれ!」という思いがこだわりへとつながっているのかもしれません。
朝ごはん、昼ごはん、晩ごはん、どれも妥協はしない!食べることは幸せを感じることでもあるので、これからも多角的なこだわりを捨てず、食に貪欲でありたいと思っています。
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