見出し画像

コントロード 第四十九話「舞台を降りて流した涙~内村さん舞台お手伝い②~」

内村さん主演舞台のお手伝い。

その舞台ではウッチャンはほとんど出ずっぱりでウッチャンを中心に物語は展開してゆく。

とはいえ、ウッチャンは多忙だ。

メインMCの番組が多くある中でもあの方は舞台がきっと大好きなのだろう、今までも忙しい合間を縫ってマセキのライブに飛び入り参加したり、一人舞台をやったり色々なことをやられてきた。

今回の舞台もそんな忙しい最中にやっていたので、稽古に来れない日が多くあった。

そんな時でも他のキャストさんたちもスケジュールを確保して稽古にやってくる。

そういった時、内村さんの代役というのが必要になってくる。

初めて内村さんがいなかった時、代役に指名してもらったのはたまたま僕だった。

いくつか舞台の仕事やドラマの仕事はやらせてもらってはいたが、本格的に演劇の現場を離れて、早6年。

素晴らしい脚本と素晴らしい演出家の現場で、素晴らしいキャストを相手に、主役である内村さんのたくさんのセリフを、台本を持ちながらも代役を務めさせて頂く。

燃えないはずがなかった。

自分でも驚くほどノッていた。

楽しくて楽しくて堪らなかった。


メインキャストの一人に松永玲子さんがいらっしゃった。

松永さんは、ナイロン100°Cという、演劇好きなら知らない人はいない老舗劇団の劇団員で、相当なキャリアの女優さんだ。

稽古の休憩中、松永さんがふと僕に話しかけてくれたことがあった。


「あなた、なんかやってたでしょ?」


これはめちゃめちゃ嬉しかった。

今は芸人としてやってはいるしコントを愛しているが、そもそも僕は役者がやりたいのにセトに口説き落とされてコントの道に入ってきた人間だ。

お笑い芸人として、上手く行かないながら曲がりなりにも3年間連続でコント日本一を決める大会、キングオブコントの準決勝までには行けるようになって、お笑いの世界で何とか頑張ってはいるが、自分が元々やってきた10年間の役者人生が、キャリアのある女優さんから頂いたその一言で肯定された気がして、自分が心の奥底で抑えていた演劇への熱さえも見透かされた気がして、僕はますます頑張った。

その後何度か内村さんの代役をやって、とある稽古の日、演出家の伝説のテレビマン・小松さんも他の芸人にも均等に機会を与えようと思っていたのか、僕ではない別の芸人にも交替で内村さんの代役をやるよう促した。

自分で代役をやっていて思ったが、今回の舞台の内村さんの役は難しかった。

モノローグ(一人語り)とダイアローグ(相手役との対話)の両方の技術が必要だし、その切り替えが非常に重要な台本で、代役を与えられた芸人は、はた目にも上手くできてはいなかった。当然だと思う。演劇経験のまったくない若手芸人にとってはそう簡単に出来るものじゃない。

次の内村さんが来れない稽古が始まる前に演出の小松さんに言われた。


「今度から、内村くんの代役は倉沢くんに決めるから」


これがまた小躍りするほど嬉しかったんだなぁ。

伝説のテレビマンに、伝説の構成作家が書いた脚本の、伝説のコメディアンが演じる主役の代役を、何者でもないこの僕が、名指しで指名されている。

恐れ多くも内村さんに似ていると言われてきた人間性からそう言ってくれたのかもしれないが、長年やり続けてきた演劇への熱量がこの一言で一気に解放されてしまった。

その後他の芸人から聞いた話だが、僕らツィンテルが別の仕事で稽古場に遅れて行かなくてはならなかった時、やはり内村さんはお仕事で来れなくて、演出の小松さんが「倉沢が来るまで待ち」と、内村さんの代役である僕が到着するまで休憩になったことがあるらしい。

正直に言って、僕はもう嬉しくて嬉しくて、止まらなくなっていた。

僕はやっぱり演技ができるんだ。

僕は役者に向いているんだ。

盲目に自分を肯定できた。

言ってくれた小松さんの期待に応えなければならない。

そう思った。


若い頃から夢を追ってきた人には、共通する幼少期の原体験というものがある人が多いと思う。

子供の頃にやたらと褒められた、という経験でなにかに没頭してゆく人は多い。

楽器の演奏が褒められた、ダンスが上手ねと複数人に言われた、作文コンクールで賞を獲った、そんなきっかけでミュージシャンやダンサー、作家なんかを目指し始めた人は多いと思う。

かくいう僕も幼少期から身長が小さく、小学生でも幼稚園児のように見えたため、日本舞踊をやっていた時分に「あの子あんなに小さいのに上手ね」と褒められまくったことがきっかけで舞台でなにかをやるのが好きになったクチだ。

お笑い芸人を始めて、最初は怖いもの知らずで一心不乱に頑張っていたが、だんだんとお笑いの難しさを知り始め、舞台上で上手く行かないことが多くなり、消極的になってしまう、前に出られない、という自分が愛せなかった。お笑いのことがわかってくればくるほど、お笑いのことが好きになればなるほど、少しずつ、お笑い芸人である自分のことが嫌いになっていった。そのお笑いに対する悔しさが、松永さんに言われたこと、小松さんに言われたことで、お芝居の現場で褒められることによって演劇熱が完全に蘇ってしまったのだ。

誰だって好きな自分でいたいもの。

さらにこの流れは助長されてゆく。

次の内村さんがいない稽古では、内村さんの妻役の木村多江さんとの二人の大変感動的なシーンの稽古だった。

(第五十話につづく)




お金持ちの方はサポートをお願いします。サポートを頂けたらもっと面白く効率的に書けるようofficeやadobeのソフトを買う足しにしようと思っています。でも本当はビールを飲んでしまうかもしれません。