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コントロード 第十話「いつかは高いテーブルに」

お笑いの事務所ライブを受けてみようと考え始めてから数週間経った。

この頃、僕らは先日観に行った若手お笑いライブの登竜門「ラ・ママ新人コント大会」のネタ見せに運良く空きが出て、憧れのラ・ママのオーディションをすでに経験してライブ出演の切符を勝ち取っていた。

ラ・ママのネタ見せはコント赤信号のリーダー渡辺正行氏本人とひょうきん族や笑っていいともの構成作家であった永峰さんがネタを見てくれる。

大御所タレントと言っても良いリーダー本人が、時に優しく、時に厳しくネタに対してのアドバイスをしてくれる機会は僕らにとって幸せな時間だった。リーダー本人も芝居出身であるためか、役者の僕らのネタはわりと最初から好感触だった。

ラ・ママ新人コント大会は、ライブ自体が3つのパートに分かれていて、最初に中堅芸人が4組ほど「準1本ネタ」という名前でネタを披露し、その後「コーラスライン」というお客さんの持つ札で10枚「×」の札が上がったら強制終了のゴングショー3分ネタコーナーがあり、最後に「1本ネタ」というテレビなどで活躍する芸人のネタコーナーがある。(※現在は変わっている部分もあるかもしれない)

コーラスラインの芸人の中には途中でネタが強制終了すること前提で選出されているお約束の芸人もいて、「ネタはちゃんとしていなければならない」というような決まり事なんて無い、お笑いという演芸の懐の深さが垣間見える。段ボールでできた冷蔵庫をかぶりお客さんを冷やすダジャレを言うネタでおなじみ、ワハハ本舗の冷蔵庫マンさんなんかが良い例だ。

ちなみに冷蔵庫マンさんもあんなネタをやっているのに出身はお芝居で、たしか老舗の新劇劇団在籍歴があった。ラ・ママではよくお話をさせて頂いたものだ。一体役者時代にどんな辛いことがあってあのネタにたどり着いたのか非常に興味深いところ。お元気だろうか。


ただ、コーラスラインの芸人と準1本、1本ネタの芸人とでは二つの小さくて大きな違いがあった。

一つは楽屋。

コーラスラインの連中はラ・ママ近くのタコ部屋のような雑居ビルの一室に詰め込まれ、1本ネタの人たちは少しゆとりのある楽屋があった。(※僕らの出演していた後半の時代は場所が取れたようで全員が一つの大きな楽屋に変更された)

もう一つは打ち上げの席。

ライブが終わるとラ・ママの会場でリーダーと作家さん、出演芸人と、リーダーと懇意のお客さんだけでの打ち上げがある。この途中で寸評のコーナーがあって各芸人が反省や感想を述べ、その後リーダーと作家さんからの感想やアドバイスがもらえ、ライブのギャラをリーダーから受け取る。

この打ち上げ会場での席もコーラスラインは4人掛けテーブルを組み合わせた長テーブルにズラリと座り、1段高いところにある大きなテーブルにリーダーと作家さんと1本ネタの芸人が座る。

このたかだか数十センチ高さが違うだけのテーブルには大きな隔たりがあるように感じて、最初のうち、いつかはあの1段高いテーブルに行きたいとコーラスラインの僕たちはいつも思っていたものだ。


時系列が前後するが、ラ・ママにはたくさんの思い出がある。

いつだったかTBSのコント大会「キングオブコント」で決勝進出を決めた先輩芸人さんがラ・ママに出演していた時のこと。

打ち上げの寸評会でリーダーが彼らに「決勝進出おめでとう」と言うと、その芸人さんがふざけて「え? お祝いにご祝儀頂けるんですか? あざーす!」と冗談をかますとそれに乗じて周りの芸人たちもやんややんやと騒ぎ立てた。根負けしたリーダーが苦笑いとともにマネージャーに「財布持ってきて」と言って本当にご祝儀を渡して以来、ラ・ママの打ち上げでは「誰かが賞レースで決勝に行った場合」「誰かが結婚した場合」「誰かが子どもが産まれた場合」と条件がどんどん増えていき、毎月一人は必ずご祝儀をもらっていた。リーダーは経済的にも関東若手芸人のリーダーだったのだ。


また、先ほど述べた楽屋での思い出話もひとつ。

タコ部屋同然の一室で若手たちが喋ったりネタあわせなどしていると、いつも決まって現れる先輩芸人がいた。

岩井ジョニ男、「コントロード」二度目の登場である。(勝手に)

ジョニ男さんは1本ネタなので別の広い楽屋のはずなのだが、なぜだかいつも決まって若手の狭い楽屋に現れる。何をするでもなく、僕らのようなペーペーの芸人たちに話しかけギリギリの時間まで過ごし、自分のネタが近くなると去ってゆく。

僕もよく「倉ちゃん、最近どう?」と話しかけられたりしたものだ。

あれがなんだったのかはわからない。でもいつだって必ずジョニ男さんは若手楽屋に来てくれて、他愛もない話をして帰ってゆく。僕にとっては先輩芸人から話しかけられるのはとてもとても嬉しくて、勝手に「僕はジョニ男さんと仲が良いのだ」という気分にさせてもらい誇らしげな気分になったものだ。

まあ、ただでさえ狭い楽屋がジョニ男さん一人分、より狭くなるわけだが。

不思議とこの「若手楽屋に遊びに来る先輩」が僕は大好きで、可愛がってもらっている。芸人を辞めてから役者に戻り数年前に舞台で共演した六角精児さんもそうだった。

広い個人楽屋があるはずなのに、わざわざ若手の狭い楽屋にやってきて世間話やストレッチをやって帰ってゆく。

きっとこの若手楽屋に遊びに来る先輩たちは、芸事をもしやっていなかったとしてもきっと良い上司となっていたんだろう。そして彼らもきっと若い頃、若手楽屋に遊びに来る先輩に可愛がってもらっていたのだろう。そんなことを思った。


そんなこんなでラ・ママ新人コント大会に出ることになった僕らは、予定通り次にプロダクション主催のオーディションライブ、通称「事務所ライブ」を受けることにした。

5人組のツィンテルの次回公演の企画も練りながら、当時事務所ライブをやっている事務所の中で考え、小さい頃からテレビで観ていたウッチャンナンチャンの事務所が良いだろうとなり、「マセキ芸能社」というプロダクションに目を付けた。

5人のうち僕ら2人と、今回は顔や動きでパワーのあるデビも連れて3人でマセキ芸能社の事務所ライブに応募した。

まさか、この人数が後々大きな問題となることも知らずに……。


(第十一話につづく)



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