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「語らい座大原本邸」の小さな奇跡

倉敷市美観地区の重要文化財・旧大原家住宅は、2018年4月に「語らい座大原本邸」として、その一部分が一般公開されている。屋敷の土蔵群の内部が展示スペースに改装され、初代から約300年間の大原家の歴史、および、七代・大原孫三郎と八代・大原總一郎のひととなりと業績が展示してある。

最奥にある土蔵の空間は、ブックカフェに改装され、大原總一郎の蔵書に囲まれた空間となっている。

大原本邸

ガラス戸棚に収められた大原總一郎の蔵書(ブックカフェ内)

總一郎が実際に所有していた哲学、芸術、文芸、音楽に関する膨大な書物に対面して、哲学と芸術を愛し志すも、大原家に生まれたが故に、東京大学経済学部に進学し、財界人の道を歩まざるを得なかった、總一郎の苦悶に思いを馳せた。

大原總一郎は、58歳の若さで大腸がんでなくなったとのことであるが、筆者がかつて、神戸のがんセンターで数千人の患者のプロフィールを記述した経験から、この苦悶が心身を蝕んだのは想像に難くない。筆者は、現在、同年齢になったのだが、今、人生を終えるのかと想像すると・・嗚呼・・なんと短かったのか・・と、あきらめきれない悲嘆が湧出してくる。

さて、ブックカフェの中心となる重要な場であるだけでなく、「語らい座大原本邸」のメイン・コンセプトを具現していると思われるのが、相席で利用する長テーブルと長椅子である。

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カフェ内の長テーブルと長椅子

それは、無垢の木で作られた真新しい、黄色みを帯びた茶色のテーブルと椅子であるが、そのシルエットに強い既視感を感じたのであった。すぐに思い浮かんだのが、趣味のカフェ巡りで訪れたことがある、「進々堂京大北門前」の長テーブルと椅子である。

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進々堂京大北門前(店内は撮影禁止になっている)

カフェ・ライターの川口葉子さんによれば、進々堂京大北門前の初代店主がフランスに留学して、パン作りの技術を学んだ際、学生街の活気あるカフェの魅力を目の当たりにして、1930年に、京都大学の側に、フランスのカフェ文化を再現する空間として、進々堂を作り上げたという*。

進々堂京大北門前の店内には創業当時から、長テーブルと長椅子がしつらえられ、学生や教授の語らいの場として、長年に渡って愛されつづけてきた。長テーブルと長椅子は、人間国宝であった漆芸家・木工家、故・黒田辰秋氏の若き頃の作品で、初代店主に黒田氏を紹介したのは、文筆家の白洲正子とも言われているそうである*。それらは90年近く使い込まれて、今では黒みがかった茶色に老成している。そのレプリカと思われる長テーブルと長椅子が、ブックカフェの空間に設置されていたのだ。案内係の若いスタッフに尋ねたところ、今までにもたびたび、来訪者に指摘されたことがあったそうである。スタッフからは、總一郎の自宅が京都大学から遠くない、京都の北白河にあったので、もしかしたら、生前に進々堂京大北門前との関わりがあったのかもしれない、とのコメントをいただいた。

總一郎の蔵書は、ガラス戸棚に収められ、直接触れることはできないが、同じ古書が収集されて、長テーブルの上に展示されており、自由に手に取って覧ることができるようになっている。その中に、旧制の第三校生の蔵書であるとする、個人の署名が記入されている古書があった。署名の日付は、1931年となっていた。旧制の第三校は、京都と岡山にあったのだが、岡山の第三校は1922年に岡山医科大学に移行していたので、京都大学の前身となった第三校の学生の所有物であったに違いなかった。

1931年と言えば、進々堂がオープンして間もない頃である。この本の所有者であった第三校の学生が、思索のために訪れ、当時は真新しかったあの長テーブルでこの本を紐解いていたのではないか。それが今、88年の時を経て、そのコンセプトを受け継いだテーブルの上に置かれているのだ。そして、今日、その出会いに立ち会えた自分がいるのだ。そんなことに思いをめぐらせていると、上半身が心地よい、涼感に満たされたのであった。この小さな奇跡は、總一郎の贈り物だと信じたい。


*川口葉子・著:京都カフェ散歩. 祥伝社黄金文庫, 2000, P82-85

**倉敷の大原美術館が誕生したのも1930年である。

(2019年4月7日)


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