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はじめてアウシュヴィッツへ行った日


「〇〇さんはきちんとした人だから...」

「〇〇さんなら、きっとこういうことしないですよね」

 

「....」

 

出た。

 

また、このパターンか...。

 

学生の頃から社会人、大人になる過程でたびたび聞こえてくる言葉。

 

あぁ、また出会ったばかりの人に優等生キャラとして扱われてしまったのか...。

  

「いや、そんなこと全っ然っないですよ...!」

 

一歩遅れてすかさず必死の抵抗をするも虚しく、勝手にこしらえられた自分像だけが一人歩きする。

 

またちゃんとしなきゃ、の鎧を着せられてしまったのか。

 

本当のわたしをさらけ出したら、この人たちはどう思うんだろう?

  

最近まで、ずっとそう思い続けていた。

 

真面目か。

 

メイクを落とすのも忘れるほど疲れ果て、脱力の果てに「こたつ」という名のオアシスで一晩過ごして朝を迎えたことも...

 

流行りの価値観に染まるのが苦手なことも...

 

旅行の準備は当日の朝にならないと出来なかったり...

 

 旅先のベッドから何度も転落したり...

 

挙げ句の果てには空港で野宿したり…

 

あぁ、挙げればキリがない。

 

奇しくも優等生キャラとして見られてしまう虚像をつくってしまったのは、他でもない自分だが、

 

もうこれからはあんなこともこんなことも言いづらいなぁ...。

 

ガッカリさせないためには、決して言うまい...?

 

時々、顔を出す真面目な自分に嫌気が差していた。

 

自分とは正反対の性格を持って生まれてきた弟の存在を恨めしく思っていた。

 

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はじめてアウシュビッツへ行った日。

 

目の前で心を抉るような記録、光景をまざまざと見た。

 

第二次世界大戦の時代、ナチス・ドイツによって迫害されたユダヤ人を対象に不等な大量虐殺があった場所。

 

自らの意志で赴かねば一生足を運ぶことのない場所のはずだった。

 

心の中に薄っすらと、でも確かに温めていた

 

「そうだ、アウシュヴィッツへ行こう」という気持ち。

 

平和ボケしていていろんなことを忘れかけている自分を覚醒させるかのように、

 

Goサインを出してからの行動は早かった。

 

アウシュビッツへ行くことについて話した人の中には、家族を含め行くこと自体を反対する声も少なからずあり、中には日本人なんだからヨーロッパ史よりも先に満洲を見るべきだ、と意見をくれる人もいた。

 

でも、そんなことはどうでもよかった。

 

どうでもいいというと語弊があるが、自分の心の声と熱量に反すること以外はその時点においては行くか、行かないかの判断を迷わせる材料にはならなかった。

 

お世話になった会社に別れを告げ、約2週間後の航空券を取ってポーランドへ赴いた。

 

歴史の中で起こった残虐な出来事、世界史の教科書では1ページやそこらくらいに無理やり収めて書いてあること、それがつい70年くらい前に実際にここで起こっていたことなんだと実際に足を運んでみてはじめて思い知らされた。

 

しばらくは食事も喉を通らないかもしれない、そんな不安さえ抱いていた。

 

戦争の記録は戦勝国によって都合のよい操作がなされている可能性は大いにある。

 

でも、実際に足を運び、当時を回想しながら、これからを考える、という機会について多くもらったことは確かだ。

 

怒り

悲しみ

困惑

 

そして、これからどうするのか、といった問いかけ。

 

答えは十人十通りだ。

 

唯一、燦々と輝く太陽と、これ以上ないくらいに雲一つなく晴れ渡る美しい空だけが、私たちの得た悲しみを焼いてくれるように感じた。

 

それだけが救いだった。

 

これがもし曇天の空のもと訪れていたとしたら...その場に立っていることも叶わなかったかもしれない。

  

現地で素晴らしいガイドにも出会えた。

 

出発の直前にポーランド在住歴20年の中谷さんという方がいることを知り、こちらからアポを取ってみると希望の日にちに快くガイドを引き受けてくれた。

 

説教じみた押し付けがましい伝え方ではなく、終始一貫して自らの経験と知見によって得た豊富な知識を余すことなく伝えながらも、必要に応じて考える機会を与えてくれ、歴史ポンコツのわたしでも、分かるように平易な言葉で語ってくれた。

 

一方向からの偏った見方ではなく、広く鳥の目で歴史を見つめてらっしゃるんだなぁ、という姿勢が存分に伝わってきて、時折胸を熱くしてしまった。

 

”何故、学校の教室で教科書を開いただけではなく、あなたたちはここまで足を運んだのですか?”

 

各々の答えがあるのだろうけれど、わたしの場合は、父方・母方両方の祖父母とも戦争を体験している人だったし、昔からその話は成長の過程で何度か聞いて育ってきた。

 

第二次世界大戦はポーランドではじまって日本で終わったことを知った時、やはりどこか他人事とは思えなくて来てしまった。

 

学生の頃のわたしにとって歴史の授業というのは、あくまでも5科目の中の必須教科、という捉え方しかしていない残念な生徒だった。

 

授業で先生が「ここ重要」と言ったところに、忠実にマーカーを引いて勉強すれば、テストでそこそこ良い点数が取れる。そうすれば、おのずと申し分のない成績をつけてくれる。

 

先生からはいい顔をされる。

 

親も満足。

 

結果、わたしも納得。

 

万事平和に終わる。 

 

それの繰り返し。

 

当時は、自ら率先して歴史を専攻したいと思ったことは、一度もなかった。

 

なのに、不思議だ。

 

きっと、自分の目で確かめることの大切さをここ数年の間に醸成していったからだろう。

 

同じように知る、という過程を踏むにしても、何を見たかで印象も捉え方も全く違うものになってしまう。

 

自分の見たものが歴史の全てではないにせよ、少なくとも自分の目で見て感じる体験が出来てよかった。

 

過去を忘れない。

 

実際に学ぶ姿勢が相手の心を癒している。

 

どう考えるか、はあなたたちに明け渡します、考える機会を与えてくれる度に、中谷さんはわたしたちにそう言って諭してくれた。

 

巷には、フェイクニュースが溢れている。

 

何を信じるかはこれからも自分が見たもので決まる。

 

正しい、間違っているの二元論ではない。

 

大衆迎合主義にならないように、知った上で選択してほしい。

  

傍観者にならないで、柔軟に対応していってほしい。

 

最後にそう言って中谷さんはツアーを締めくくった。

 

最高のガイドに出会えたと思った。

 

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そして、友達が出来た。

 

年は2つ上。

 

新卒から勤めた銀行をやめて1年ほどバックパッカーをしている人。

 

第一印象からは、元・銀行員を微塵も感じさせない風貌。

 

属性は、完全に「旅人」だった。

 

旅をしていると偶然なる面白い出会いはあるもの。

 

そんな出会いが尽きない。

 

だから、旅はやめられないんだ。

 

旅の中でも思い出に残る印象深い出来事のひとつだった。

 

 

その友達と帰国後に日本で再会を果たした時、

 

「かほちゃんて、結構汚いところも全然行けるよね」と突如として彼が発した。

 

ハッとした。

 

酔いの言葉だったのかもしれない。

 

決して、深い意味はなかったのかもしれない。

 

けれど、真正面からその言葉を受け取ったわたしは、ようやく少しだけ理解されたような気分になれた。

 

目の前の人に。

 

同じ所属の中で何年も同じ時間を共有していても、素性を理解し、されているとは言い難い。

 

が、つい先日はじめて会ったばかりの人と分かりあえると言うのは、やっぱりどこか嬉しい。

 

日本を飛び出してよかった。

 

その彼が何気なく発した言葉がどれほど嬉しかったか、は言うまでもない。

 

そう、今日はこれが書きたくて。

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