プロフィール記事なるもの

吾輩は猫である。学位はまだない。専門は「医療について考えること」である。

元来、医療に携わることを目標としていた。幸か不幸か人生における最も多感な時期を東京の某旧制七年制高校で過ごすことになり、「東西文化融合の我が民族理想を遂行し得べき人物」「世界に雄飛するに耐える人物」「自ら調べ自ら考える力のある人物」との三理想を叩き込まれた。私は七年制の高校を高々六年で修了する快挙を遂げ、遙か西方のスーパーグローバル大学こと広島大学医学部のMD-PhDコースに進学することになった。周りの雰囲気に流されることを嫌い、自調自考を徹底した結果、どういうわけか医療倫理学を専攻するに至った。

そもそも私は「とりあえず何でもやってみる」人間である。小学生の頃は電子工学に、中学では言語学や社会学に親しんだ。高校では物理学を熱心に勉強したが、大学進学を助けたのは地学と生物学であった。学部時代は法学から文化人類学まで無計画に読み散らかした。しかし、私の関心の中心は常に医学であった。

中世ヨーロッパのウニベルシタスでは、神学・医学・法学の専門課程に進むためには自由七科と呼ばれる教養課程を修める必要があった。このことの意義は理解しやすい。神学も医学も法学も、人の危うさに触れる学である(ゆえにしばしば「汚れ仕事」と呼ばれる)。これらの学問は「人の危うさ」に定義を与える。この恐ろしく権威的な営みは、透徹した人間観ひいては世界観のもとに行われる必要がある。もっとも、これは明らかに人知を超えた営みである。しかし、少なくとも、その権威性を自覚して、バランスの取れた人間観・世界観を持つように努めることが求められる。教養課程はその努力を助ける。私は、医学を修めようとする者として、自分自身のマルチディシプリナリー志向はむしろ強みであると考えてきた。

実際、気の向くままに幅広く勉強を重ねた結果、医学の世界における「医療論」が極めて粗雑であることに気付かされた。たいへん皮肉なことである。

我々は危うさを前にして何を想い、何を為すべきか。医学を学ぶ人間として常に意識しておかなければならないことである。然るに、現代の医学においては人間的な「危うさ」が明らかに疎外されている(21世紀の文章とは思えない言い回しであるが、この表現が最もわかりやすい)。そのような状況であるからこそ、改めて「危うさ」について考えなければいけない。私は「医療倫理学」という枠組みのなかで、医療の人間的な側面の理解を助けるための研究を行いたいと考えている。

ミネルヴァの梟は黄昏に飛翔するというが、私は黄昏を待たずに一応の取り組み方を示すのが医学の役割であると確信している。

これは最初の大阪留学にあたって書いた文章からの引用。当時の信念はもちろん今でも変わっていない。

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