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10章 エンディングセミナー

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「まろみちゃん、お多福屋の豆大福を買ってきたよ~」         包みをぶらぶらさせながら、蔵子が事務所へ戻ってきた。
「おかえりなさい。今日は豆大福デーですね」
「なんで?」
「ひかるさんが妹さんと一緒に来られて、お土産に豆大福をいただきました」
「あら、まあ!」
 パーテーションで区切った応接コーナーにも聞こえたとみえ、クククと忍び笑いが聞こえた。
 ひかるの妹、九条綾乃は夫と葬儀社を営んでいる。夫婦に社員3人とパートの女性7人という規模である。大手の業者は立派な会館を建て、病院ともがっちり手を組んでいる。
 大手と同じ土俵ではかなわないので、綾乃と夫は、家族葬を中心に“まごころ葬儀”をうたっている。一度葬儀を行ってくださった方からは、感謝されているが職業上なかなか営業ができない。そこで、PRを兼ねて公民館を借り“エンディングセミナー”を行っている。

 セミナーに参加するのは、元気な高齢者と、葬儀に不安をもっている高齢者の家族である。
 葬儀について、日頃なかなか聞けない事や、実情。また、供養にもいろいろあり、墓の事、散骨などについても実例が紹介される。 
このセミナーでは、葬儀や墓で終わらず、老い支度の準備についての講義も含まれる。
遺産相続について、一昔前なら遺言書は財産のある金持ちが作るものだという意識が強かったが、現代ではそうはいかない。特にひとり暮らしの者にとっては、重要なことである。
 うちはお金がないからという人も多いが、お金は無くても家はあるという高齢者は多い。
他にも、不治の病にかかった時の告知はどうするのか。
一人で暮らせなくなった場合の選択は…病院で病が重篤になった時の延命治療を希望するかどうか。
また、今、一番問題になっているのは判断力が衰えてしまうことである。
衰えてしまってからでは遅いので、このあたりも法律の専門家から、後見人制度についての紹介がされる。

 蔵子への依頼は、そこで“老前整理”の話をして欲しいということだった。
 最近ではひとり住まいの高齢者が亡くなると、親族が“遺品整理”を頼むことが増えている。
家族にしてみれば、遺品整理を頼むよりは、それまでに財産分与も兼ねて、老前整理をして欲しいというのが人情であろう。
江坂康子のように、家族の遺品整理をした経験から、自分自身が老前整理をしておこうと考える人も増えている。
 綾乃の説明では、話をするのは三月に一度ということだった。
 これは綾乃の単なる思い付きではなく、ひかるから「新わくわく片付け講座」の話を聞いて、じっくり考えた企画だそうだ。
 三カ月に一度なら、何とかなるだろうと、蔵子は承諾した。

 二人が帰った後、蔵子は豆大福を頬ばりながらノートにペンを走らせていた。
「蔵子さん、もう3つ目ですよ」
「お煎茶ちょうだい。思いっきり濃いのがいいわ」
 蔵子は下を向いたまま、空の湯呑みを突き出した。
「夜、眠れなくなりますよ」

 次の日、蔵子はまろみに企画書の束を渡した。
「夕べこれだけ書いた?」
「そう、おかげで豆大福がなくなってしまった」
「え~っ、全部食べちゃったんですか、私の分が…」
 まろみは子供のように、頬をふくらませて続けた。
「知りませんよ。この前買った、ブルーのスーツが着られなくなっても」
「う~ん、ダイエットします」
 蔵子は立ち上がって、大きな伸びをした。
 まろみは書類に目を通して、顔をあげた。
「ほんとうに、これを一晩で?」
「はい」
「恐るべし、豆大福」

 二ヶ月後、九条葬儀社の“エンディングセミナー”で、蔵子が「老前整理」の話をした。
定員三〇名に三八名の応募があったそうだ。
三名のキャンセルがあり、参加者は三五人だった。

参加者の三分の二くらいは六〇歳以上で、これは予想通りである。
 蔵子が驚いたのは、二〇代、三〇代の参加者もいたことだ。
男女比は、女性が多く、男性が二割くらいだろうか。
 講座の持ち時間は二時間だが、一時間半は整理の仕方、考え方、処分の方法などを話し、残りの三〇分は質問の時間にした。
 本の処分についてやアルバムの管理法などの質問に答えた。
 なかにはひとり暮らしの高齢の女性から、自分では出来ないのでK社で老前整理をしてもらえないか、という依頼もあった。

 偶々、先週の夜のテレビで、「遺品整理屋」を主人公にしたドラマが放映されたので、聞き慣れない「老前整理」も受け入れてもらいやすかったようだ。
 また、遺品整理は頼めるのか、との質問には、老前整理のみと答えた。

セミナーの翌日、九条綾乃が事務所を訪れた。
「蔵子さん、昨日はありがとうございました。お陰さまでアンケートの結果も、ほとんどの方が、“大変満足”と書いてくださいました。もっとお話を聞きたいという方もたくさんありましたので、次回もよろしくお願いいたします」

 今日も綾乃が豆大福を置いて帰ったので、蔵子はご機嫌だった。
「まろみちゃん、決めたわ。老前整理アドバイザーを養成する」
「企画書に書いてあった、あれですか?」
「そうよ。実は、S市でエンディングセミナーをするのに、老前整理の話をして欲しいという依頼が来ているの」
「なんで、S市がそんなことするのですか」
「以前、S市で『覚書帳…老いに備える』、つまり簡単なエンディングノートを作って配ったら、反響が大きかったらしいわ」

 『覚書帳…老いに備える』では、基本情報として緊急連絡先、いざという時の意思表示(病名の告知、延命治療について、介護場所、介護費用、いざという時頼りたい人、葬儀の希望、財産について、訃報を知らせてほしい人)などを書き込むようになっている。

 ひとり暮らしの高齢者が増えた今、離れて暮らす家族にとっても、本人の意思を知ることは重要である。また、きちんと本人の意思表示があれば、行政も何かあった時に、親族への連絡その他、対処がしやすいということらしい。

 蔵子が本棚から小冊子を出して、まろみに渡した。
「『覚書帳-老いに備えて』ですか。エンディングノートよりネーミングがいいですね」
「わたしが考えたのだから、エッヘン」
 まろみはカッと目を見開いて、冗談でしょという顔をした。
「ほんと。S市の市役所に知り合いがいてね。相談に乗って欲しいって言うから…」
 最後はしどろもどろになった。
「また、タダ働きでしょ」
 まろみの細い眉がつり上がった。まろみの感情はすぐ顔に出る。
「税理士の田内先生に叱られますよ。K社はNPOではありませんって」
「はい、ごめんなさい」

 本当は反省なんかしてないくせに、と独り言をいいながら、まろみは郵便物の開封を始めた。
 蔵子がパソコンに向かっていると、まろみが横に立った。
「さっきは言いすぎました。ごめんなさい」
「なにを?」
「S市のこと」
「ああ、ひとりぐらい、K社の経済状態を真剣に考えてくれる人がいないとね」
「違うのです」
「郵便物の整理をしていたら、S市が講座依頼の書類を送ってきました」
 立ってないで座ったらと、藏子が椅子をすすめた。

「中に、担当の今里さんという方からの、蔵子さんあてのお手紙が入っていて」
「それが、熱烈なラブレターだったとか…」
 まろみは、ぷっと吹き出し、そんな訳ないでしょと切り返した。
「やっぱり、それで」
「S市の話を聞いて、K市も同じ講座を開きたいので、蔵子さんに相談したいから、今里さんが紹介がてら、K市の人と一緒に事務所に伺いますとのことです」
 蔵子は手紙を受け取って目を通した。

「こうやって、仕事が広がっていくのですね。わたしったら、目先のことしか考えてなくて…昔から“損して得とれ”っていいますから…勉強になりました。なんだか、K社の仕事は、蔵子さんの企画書通りに進行中。もしかして、超能力なんかあったりして…」
「あったら、こんなにバタバタ仕事してないわよ」
「それもそうだ」
「S市やK市で、綾乃さんとこのセミナーみたいに、老前整理をして欲しいという人が増えたら、ますます、忙しくなりますね。『新わくわく片付け講座』もあるし…あっ、そうか、その為に老前整理アドバイザー養成講座ですね」
「まろみちゃんも、もっと豆大福を食べたほうがいいわよ」

10章 終

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ひとり暮らしの老前整理® (13)


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