ブンゲイファイトクラブ2 野良ジャッジ 木枯らしの批評

Hグループだけ批評しました。これだけでもうヘトヘトです。正式ジャッジ、偉いわー。

ファイターとして参加してみて痛感したのは原稿用紙6枚は意外なほど長いということだった。小さな部屋かと思ったら、あれむっちゃ広いんだけど。魔法の部屋かよ。四次元ポケットかよ。

なぜそう感じるのか? 長編なら6枚なんて会話で埋まってしまう。短編でもせいぜいワンシーンか。ただそれはその外部に物語の構造があって、その流れに乗って読んでいるからである。ストーリーの一部なのだ。だがBFCとなるとそうはいかない。読者は最初から短さを意識して、1行1行に目を凝らす。ゼロから物語の生成を期待する。すると少しでもたるんだ部分があると、すぐに目につく。飽きてしまう。

じゃあどうするか。私は運動感、あるいは拡張感が重要だろうと予測した。盆栽を考えてみよう。盆栽の鉢には山河が無ければならぬ。宇宙が秘められてなければならぬ。さもないとただの鉢植えになってしまうからだ。手のひらサイズのキャンバスに何か描くことを考えてみよう。手のひらにのる小物を描くのは愚策である。むしろ雄大な風景を描いて、観者の脳内にどこまでも広がっていく空間を生み出さねばならぬ。

今回のジャッジに当たっても、作品内にどのような空間が構成されているかに着目する。もちろんこの空間は必ずしも実空間ではない。器の小ささとは異なる空間が構成されているものを高く評価する。

量産型魔法少女

この作品は二つの時空によって成り立っている。一つは14歳の少女である「わたし」のいる現在時、そこには母としおちゃんが存在している。もうひとつはまだ少女だった母としおちゃんのいる空間、つまり過去である。「わたし」も、少女時代の母としおちゃんも家庭の問題を抱え、生きる辛さを感じている。昔の母は魔法のスティックによって、「わたし」はDTMによって今とは異なる誰かに「変身」し、自由になることを夢見ている。このように並行(反復)する二つの空間を成立させたことがこの作品の強みであるだろう。

しかし過去の時空(会話の中で語られる)が現在と拮抗する十分な存在感を持っているとは言い難い。しおちゃんは少女としての母と現在の「わたし」をつなぐ重要な役回りだが、そのことが活かしきれていないし、魔法のモチーフも展開しきれていない。おそらくより印象的な過去のエピソードを盛り込む必要があったのだろう。過去の出来事と今の出来事、その呪縛、反復、あるいはそこから離脱する可能性まで描く必要があったのだろう。

PADS

「子役と動物には勝てない」という言葉がある。この作品の前半では猫との出会いから、日々の生活までが生き生きしたディテールとともに描かれ、それだけで快楽的である。そして後半になってとつぜん全世界大の出来事が導入され、一気に巨大なスケールを獲得する。無数の猫たちが落ちてくる隕石に向かってあしを掲げているヴィジョンは、ユーモラスであるとともに哀切であり記憶に残る。

このようにイメージの鮮明さ、中盤以降の急展開などはとても優れている。しかしそれを勘案しても、結局これは猫の可愛さに頼りきりのワンアイデアストーリーではないかという点が気になった。作品の魅力というより猫の魅力ではないか。子役と猫には勝てないが、それが必ずしも作品そのものの力にならないのも確かである。そして残念ながら評者はあまり猫に思い入れのない人間なのだった。

voice(s)

 ほぼワンオペに近い育児を余儀なくされている若い母親、「鬼」からかかってくる電話。最初の混乱から徐々に状況が浮かび上がってくる。この作品はSNSという装置を通して複数の声が交錯する仕組みになっている。そして「声」は今こことは違う別の関係・時空とつながっている。つまり作者は電波を通して流れ込んでくる無数の声という形で断片化された複数の時空を無理なく作中に呼び込むことに成功している。その断片化された時空は、否応なく切迫感を掻き立てる。後半、家を出た彼女に殺到する(想起する)声の中には不倫相手と思われる声もあり、これは冒頭の「鬼」(=地獄)と響き合って彼女の中の罪悪感を浮かび上がらせる。声が一斉に押し寄せてくる様は彼女がフラッシュバックの状態にあることも感じさせる。井上光晴の『眼の皮膚』を想起させもする優れた作品だと思った。

評者がいくらか共通点のある作品を構想しているため、参考になったことも記して感謝する。

ワイルドピッチ

なんということもないありふれた出来事が描かれているのに過ぎないのに、一貫して心地よい緊張が流れているのは、文乃のいる3階の教室と駿介のいるグラウンドが、柱のためお互い死角となることで、異なる二つの空間として成立しているからだろう。女子たちのあいだでは言葉が、少年たちのあいだではボールがやりとりされ、それぞれに向かい合い、文乃と駿介はお互いを意識しながら、決して視線も言葉も交わすことはない。作者は入念にこの二つの空間を設立し、並立させ、同期させている。そしていつこの二つの空間がぶつかり合い交じり合うのだろうという期待に対しても、駿介の消えた空間を文乃が眺めるという慎ましやかな態度で応えている。かすかなエロスが惹起されながら、あくまで品が良く、テクストは淡々と具体的な運動だけを記述し続ける。

盗まれた碑文

ボルヘスや稲垣足穂、あるいは中島敦をおもい出すだけで、はるかな古代や異郷を舞台にしたおとぎ話風の「奇譚」はマイクロノベルに相応しいように思う。けれども、どういうわけか、今回の対戦作品の中に、印象的な奇譚は見当たらなかったような気がする。

本作でも二つの空間、あるいは平面が問題になる。宝物庫の実空間と碑文の記された石碑の表面である。文字の刻まれた表面が忽然と消え失せたため、主人公は石碑を掘ることでその表面を取り返そうとする。

しかし残念ながら、その実空間と消えた虚空間との関係が明確に定義されているとは言い難い、少なくとも説明されてはいないと感じられる。とりわけラストの石碑の表面がそのまま王の皮膚と入れ替わってしまうという展開に論理的な必然が感知できず、いささか恣意的に思われた。個々の作業の細部を明確に描くこと、そのプロセスが必然的な帰結を導くこと、この二点がクリアされていればと思わずにいられない。例えばテッド・チャンの『バビロンの塔』が理想的な作例になるのではないだろうか。

佐々木倫 量産型魔法少女 3

久永実木彦 PADS 3

蕪木Q平 voice(s)  5 ★

海乃凧 ワイルドピッチ 4

吉見俊一郎 盗まれた碑文 3













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