自分と向き合うを苦しくしない

自分と向き合うって、結構苦しいと思っていた。

いろんな自分を認めて、反吐みたいな本音を吐きまくって、泣きまくって・・・

そんな時期を経たから、今、思う事なのかもしれないのだけど。

とあるブログを見て、自分と向き合うって、苦しくない事だなって感じた。

と言うか、最近の自分も、自分と向き合うことは、苦しくないって思えるようになってきたから。

向き合う事=自分の事を知ること、認識することに変わってきたから。

その、認識すると言うことが、とても軽くできるようになってきた。

日々、くらげ体操をして、身体を緩めながら、自分の身体の変化を認識するという事をしているからか、緩むことも固まることも、どっちもただの変化として認識している感じになってきている。

その結果なのか何なのか、自分のずるいところ、汚いところ、情けないところ、欠点に見えるところも、「そんな自分もいるよね」って受け入れられるようになってきた気がする。受け入れるまでのハードルが下がったと言うか。

そして、自分を受け入れることができた分だけ、きっと他人も受け入れることができる。人に対して、ずるい、汚い、欠点と思うとこも、気にならなくなってきたと言うか、そう言う面もあるよね、とか、私が同じ立場なら、同じ事をしたかもしれないな、とか、そんなふうに思えるようになった。

認識する=事実だけをみる。

今の自分の状態をみる。

今、腹が立っている。こう言われて腹が立った自分がいる。その言葉に反応した自分がいる。その言葉にネガティブな思いを持っている自分がいる。

でも、反対を見たら、同じ言葉を言われても腹も立たない、反応しない相手もいるし、同じ言葉でもポジティブな思いを持っている相手もいる。

どんな思いを持っても、どんな自分でいても、本来自由で、言葉ひとつとっても、ただの事実に取る人もいれば、ポジティブにもネガティブにも取る人もいる。

白髪という言葉だって、ただの白い毛だなって人もいれば、年取ったな、苦労してるなって思う人もいるし、白髪がたくさんって、なんかおしゃれって思う人だっている。

自分の設定を、苦しくしない生き方だって選べる。

自分次第。

自分と向き合うことは、自分を知ること。

自分を知ると、自分を活かすことができる。

自分を知った分だけ、相手を知って、

自分を許した分だけ、相手を許せる。

藤井風さんの帰ろうって歌の

憎み合いの果てに何が生まれるの 私、私が先に忘れよう

って言う歌詞、聞くたびに響く。

私が先なんだよね、何事も。

だからこそ、私を優先して、大事にすることが大事。

自分に優しくなろう。


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