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激動する世界で静かに生きる。あるいは歴史の糸をこたつ机で紡ぐということについて。

1.台所の情景

いつしか、ニュースを流しながら家事をするのが定番になっていた。イヤホンを接続しスマートフォンに「オーケーグーグル、最新のニュースを流して」と話しかければ、それだけ今日何が起きたかが耳に飛び込んでくる。人工内耳による聴力の回復がもたらした奇跡の一つだ。

私は聴覚障害で人工内耳などをつけないと、物音一つ聞こえない。たとえば、目の前でヤカンが鳴っていてもわからないし、ガスコンロが点火したかどうかも実際に見ないと判断できない。しょっちゅう火をつけたつもりが点火してなく、一向にお湯が沸いていないことがある。それでも、うまくチューニングすればスマホから流れる「無機質なアナウンサーの声」はしっかり聞こえるのだから、科学技術の進歩の凄さには感服するしかない。

だけども、科学技術でなんとかなることもあれば、ならないこともある。ここ一ヶ月はニュースを再生すると、どのニュース番組もトップは新型コロナウイルスによる肺炎の話題だ。今日はオリンピック組織委員会の森会長がオリンピックの延期を容認したらしい。人の耳は治せても、目に見えないウイルスによって社会が窮地に追い込まれていくことを組められないのもまた科学技術というもので、このコントラストの不思議に、冷蔵庫の扉を開く手が一瞬止まる。

冷蔵庫から、2日前にスーパーで半額になっているのを買った牛赤身肉の塊を取り出す。値札を見るとちょうど今日が消費期限で、産地はアメリカと書いてあった。ニュースが切り替わり、アメリカのニューヨーク市でコロナウイルスの患者が急増して大変な状態になっていると伝えてくる。

いつも同じ週の同じ日の同じ時間に決まって半額値引きのシールが貼られている安い赤身ステーキ肉を、いつもと同じように買った2日前と今では何が違うんだろうか。世界はなにか変わってしまったんだろうか。おそらく、変わった世界もあれば、変わらない世界もある。私はまだ、変わらない世界の方にいる。

赤身肉をまな板に乗せ、包丁で筋に切込みを入れ、包丁の背でまんべんなく叩く。1万年前の人間だって、おそらく硬い肉を食べるときは焼く前に黒曜石と棍棒を使って柔らかくしたはずだ。この技術の原理はいつだって変わりはしない。だけど、1万年前に人間は、1万キロ先で起きたニュースを知ることはなかったはずだ。料理の基本は変わっても、情報は距離を失った。

変わらない世界。変わる世界。変わらない技術。変わる技術。それらが刻一刻と現れて、消えて、過去になって、未来がまた今に変わってゆく。それが今、私が立っている台所の情景。

熱したフライパンの上で牛脂を溶かし、赤身肉を乗せる。おそらく、肉はジューッと音と立ててるのだろうけども、ニュースにチューニングされた私に耳にはそれは聞こえない。1万年前から変わらない肉の焼ける音は、1万年後の機械の耳を持つ私が聞こえるモノと同じものなんだろうか。白い煙がのぼり、肉が焼けていく匂いがする。この匂いは1万年前の肉に匂いとどれだけ同じなんだろうか。変わるモノ・変わるヒト・変わるオト・変わらないニオイ。

2.世界の激動と冷めていく肉

私たち夫婦は築40年のお世辞にも新しいとは言えない一軒家を借りて住んでいる。隙間風も吹けば壁紙が剥がれてしまうこともあるような建屋だけど、家賃は相場に比べて安くて、都内にしては静かなところなので気に入っている。

そんな家に「リビング」なんて洒落たものはなく、「居間」と言うにふさわしい空間があるのみだ。この居間のおいてあるこたつ机が、我が家の食卓でもあり、私の仕事場でもある万能スペースだ。本当は自分の書斎となるスペースがあるはずだったんだけど、妻の非常用スペースとして召し上げられて、ご飯のたびにノートパソコンを片付けるという不便を強いられている。

焼き上がったステーキは今日もだいぶいい塩梅だ。週に1~2回も安い肉を焼いていれば臭みの処理も火の通し方もだいぶマスターしてくる。こたつ机の上にステーキやその他のおかずを並べ、妻をLINEで呼ぶ。既読がすぐについたのですぐに下に降りてくるだろう。

スマホのニュースを切り、イヤホンを外してつけっぱなしのテレビに目を向ける。ちょうど19時のNHKニュースのヘッドラインが流れていて、こちらもコロナウイルスの話題一色だ。「思い切った経済対策が必要です」とテレビの向こうで安倍首相が話している。経済といえば、とまだ終わってない仕事を思い出して、食後に片付けなればなと算段する。在宅勤務もそろそろ1年になって「就業時間」の概念はもはや壊滅して、「気がついたときが仕事時間」だ。

私は昨年4月に転職して、それ以来、ずっと在宅勤務をしている。私の精神的な調子が悪くなったり、妻の体調の悪化に伴う通院補助などが重なり、長時間外出して働くのが難しくなったからだ。いいタイミングで転職できて本当に助かっている。

そんな理由で在宅勤務になったので、半分は引きこもりに近い生活だ。ウチから数日間、コンビニ以外は外に出ないことも珍しくなく、仕事の用事で外出しても8時間以上家を空けることはほとんどない。ネット越しに話す人は大勢いるのだけども、面向かって話すのもほぼ妻一人っきりだ。

こういう生活に特に不満はないのだけども、なにかこう「社会」の流れとはそれたところにいるような気がすることがある。コロナウイルス騒ぎが始まってからは特にそうで、報道とかツイッターとかでは色んなパニック状態の世相が送られてくるのだけども、通勤電車にものらないし、普段から日用品のストックを買いだめしておくタイプなので今回も2ヶ月は日用品は買わないくていいくらいの在庫はある。

買い物も値引き品狙いで夜遅くの時間に行くことが多いから、もともと人通りが多いところに行くこともない。仕事も打ち合わせが中止になったり、オンラインでの会合に切り替わることが増えて、ますます人混みに行くことが減った。興味のあるイベントもいくつもオンライン中継になって出不精としては嬉しい限りだ。仕事の内容も今のところは全く変わっていない。

そんなものだから今の御時世が「なにか変わった」という実感があまりなくて、せいぜい近くのドラッグストアに行くとマスクの棚やトイレットペーパー・ティッシュペーパー売り場ががらん、としているところに混乱の痕跡を見るくらいだ。

でも、テレビで見る世界は「今は歴史の激動期だ」と押し付けてくる。日本の各地でコロナウイルスによる発症者が相次ぎ、小池都知事は「首都閉鎖もあり得る」という。イタリアでは棺が足りなくなるほどの死者が増え、ドイツは「戦後最悪の危機だ」といい、トランプアメリカ大統領は「私は戦時大統領だ!」と宣言する。

でも、私の今の焦りはまだ妻が上から降りてこないことだ。世界が大混乱で、今にも滅びてしまいそうで、何兆円という金額の経済支援が打ち出される中、私は、1枚300円もしない肉が冷めることを心配している。このギャップに気づいて誰ともなしに笑っていたら、ちょうど妻が来た。

「何笑ってんの」と妻は聞く。「世界が滅びそうだね」と私は答える。妻は「ふーん」とどうでも良さそうに言ったあと「あ、お肉だ!」と目を輝かせた。今、「戦時」であるらしい国から来た、安売りされていた硬い肉。それでも喜ぶ妻の素直さが何故か眩しかった。

3.歴史の糸を紡ぐということ

「歴史って誰ものだと思う」と私は妻に聞いた。ステーキ肉はとっくに皿から消えている。妻の好みよりちょっとしょっぱかったみたいで、妻はお茶のペットボトルを台所から追加で持ってきたところで、「歴史って誰かのものなの?」と不思議そうに聞き返してくる。

「俺さ、歴史に残りたかったんだよね。なにか大きなことをして、100年さきどころか1万年先まで語り継がれるみたいな英雄になりたかったんだよね。俺、歴史好きじゃん。でもさ、歴史って『名前のある誰か』のものだと思うんだよね。アレキサンダー大王、ナポレオン、徳川家康、そして今なら安倍首相とかトランプ大統領とかかな。でもさ、今、地球には70億人を超える人が住んでいて、それ以上の人間がこの地球上で生まれては死んでいったはずなんだけど、このなかで「歴史」として名前が残っているのは何人なんだろう、と考えると、背中がスーッと寒気が走るような怖気を感じるんだよね」

私のこの壮大なる恐怖を、妻は「歴史は興味がないからよくわからん。それよりまたご飯の味が濃くなっているから気をつけなよ?」と一蹴し、現実的な問題を指摘して上の寝室に戻っていった。せめて食器は片付けてほしいのだが、なにげに体調が悪くて起きているのも精一杯のようだから仕方がない。

私は立ち上がりイヤホンを耳に付ける。もう一度、スマホに「オーケーグーグル、最新のニュースを流して」と語りかけ、スマホは「最新のニュースをお伝えしまう」と答える。2時間前のニュースと違う話題が耳に流れる。1万年前の人間は、おそらく1時間単位で絶え間なく話題が切り替わっていくことなどなかっただろうけども、食器を洗わないといけないところは変わらない。変わるコト・変わらないコト。

私は使った皿を重ねて、洗い場に持っていく。1万キロ先のニュースを機械化した耳に分単位で伝えることができる社会でも、居間から台所まで皿を持っていくことはとてもめんどうくさい。半径6,371 kmの地球の隅から隅まで広がるかのようなコロナウイルスは実に働き者だな、と感心するし、その勤労意欲を少し抑えてくれないか、とも思う。いつも以上に多めの洗剤をスポンジに吸い込ませて、力を込めて皿を洗う。そこにコロナウイルスはいないだろうけども。

皿を洗い終わって居間に戻ると、ちょうど速報が入る。聖火リレーは中止になって、自動車で聖火を運ぶそうだ。つい、「ひぃ!?」と変な声が出た。人様を少しは疲れさせていいシーンだぞ、そこはと呆れたけど、これは間違いなく歴史的な混乱だ。確かに、歴史は動いている。でも、その歴史は私たちに手を伸ばさない。静かに、歴史に取り残されていく私たちの生活は進んでいく。

スマホが何かを受信し、振動する。ポケットから取り出すと、妻からのLINEが届いていた。「聖火リレー、大変なことになったね。変な声が出たよ!?」

うん、歴史は。私たちの手の届かないところにあるかもしれないけど。今、私たちの気持ちを同じように驚かせたんだね。そして、他の何万人かが同じように変な声を上げたかもしれないね。もしかしたら、このことをnoteに書いたら、100年後に「聖火リレーの開催方法が変わったことに驚いた人がいた」と証拠として残っているかもしれないね。もしかしたら、もしかしたらけど、1万年先の人のところにも届くかもしれないね。

私は、居間のこたつ机をふきんで拭いて、PCを開く。そして、1万年前の人間が考えられないほど増えた人間全員に、考えられないほど早く情報を伝えるインターネットに載せる文を考える。

歴史は確かに動いている。この古い静かな部屋からも、言葉のか細い糸を紡ぎ放つことはできる。そして、微細な糸たちが絡み合って、歴史は織りなされるはずだ。この布は1万年後のどんな切れ端を残しているだろうか?

でも、まずは、いつものように、この文章は妻に最初に見てもらうおう。そして、「またくだらないことを書いたね」と笑われたい。妻はいま、まだ起きているようだ。寝る前に書き上げよう。どうでもよくて、どうてもよくない、私たちの「今」を。

妻のあおががてんかん再発とか体調の悪化とかで仕事をやめることになりました。障害者の自分で妻一人養うことはかなり厳しいのでコンテンツがオモシロかったらサポートしていただけると全裸で土下座マシンになります。