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Twitterで起きている「現象」を捉え炎上を避けるということ。あるいはインフルエンサーというアスリートの感覚について。

炎上は自然現象

私は精神的な状態が悪くなると何故かTwitterに没頭したくなるという悪癖があり、現在はTwitter熱中期でございます。

で、ここ数日ですら「炎上」があちらこちらで轟々と巻き起きているのですが、なんというかもう「人間の意志」とか「言葉の力」とかそういうのを超えて、「自然現象」を眺めているような気分になります。

ネットイナゴは炎上に

古の2ちゃんねるではブログを炎上させる匿名アカウントを「ネットイナゴ」と忌みられ、実際、蝗害のように次から次へといくつものブログを炎上・衰退・閉鎖に追い込んでいました。これはもう「燃やしていい」と判断されたものについては人間は残虐になり、そしてそういう人間の集まりはちょっとしたことで止められない蝗害のようなものに変わります。これはもう「災害」と捉えたほうがよく、災害にあたったらあとは避難する他ないわけです。

これは残念ながらSNSでも引き継がれていますが、昔のように発信するフィールドがブログやWEBサイトのような独立した形ではなく、Twitterという気楽に書けてしまう場であるため、自分自身が「災害に直撃する」可能性も、知らずにして蝗の一匹になる可能性も激上げしているわけですね。一度蝗害が起きたら、あとは早く蝗が餌を食い尽くして他のところに移動するのを待つのが最善で、下手に抵抗すると更に被害が広まるだけですね。

オーストラリアの高温のように

炎上すること自体がおかしい、というのその通りなのですが、特に男女問題や差別、政治などに関してはオーストラリアの夏のごとく乾ききり危ういフィールドになっていて、現状では「何を言っても山火事が起きる危険」は高いわけですよ。

これはもう善悪を超えて、「炎上という現象が起やすい」という現象はある、と考えたほうが良いでしょう。その上で「炎上させることも覚悟で強い言葉を使う」とか「何も言わない」とか「できるだけ燃えない範囲を見極めて言葉を使うか」とかしないと、特に社会問題に関心がある人ほどキャンプファイヤーになってしまうのでしょうねぇ。

私も一応は障害者問題という社会問題について首を突っ込んでいて、Twitterにおけるいろんな言説について強く物申したいことは多いのですが、殆どのユーザーは悪意なく、そして無邪気に差別的なことを消費しています。

そして、人間は消費している何かを「それはおかしい」と強く言われることはとてもストレス値が高いもので、それ故に強く反発することもしばしです。ですから、(フォロワーも多い)私が「無邪気な差別的な消費」に強く言うことは、良くも悪くも松明を振り回しながら石油かぶってリンボーダンスするようなもんだろうなぁ、と。

まぁ、そういうことが必要なこともあろうとは思いますが、私はTwitterであまり消耗したくないので今は慎重かつヌルヌルした物言いで遠くからくねくね踊っていて、たまたま見た人がちょっと気にするような、そんな生き様をしております。

インフルエンサーというアスリート

でまぁ、このような炎上ですが、刻一刻と「炎上しやすいテーマ」や「バズりやすいネタ」は変わっていて、「あんた、それを今言いますか」といわんばかりに特攻しちゃう人もいれば、あまり荒れていないときのみ特定のテーマに言及する人もいるし、チャンスを見るとここぞとばかり「バズりそうなネタ」を披露する人もいます。

こういうアレヤコレヤを眺めていると、天気の不安定な山を登る登山家たちや荒れ狂う海を往く漁船、風を読んで戦う戦闘機のような有様を私は見るわけですが、Twitterの「インフルエンサー」というのはおそらくこういうアスリートとか冒険家とかそういう感性を持っていると思いますよ。まじで。

Twitter天気予報士

ですが、普通はそんな風向きなど読めないというか気にしないので、いつの間にか自分が火種になっていたり、逆に放火していてダメージを食らうことがあるので、「Twitter天気予報士」みたいなお仕事が求められますね。

個人でできる災難への対策の一つに「予想を読み早期避難すること」というものがあり、Twitterで消耗したくない場合は荒れそうなネタからは身を置くことも大事でしょう。

そして、今どんなネタが荒れていてどういうことを話すと燃えやすいかとか教えてくれる予報士がいると安全なTwitterライフを送りやすいのではないでしょうか。だれかTwitter天気予報士の資格作ってください。

現象として捉える

まぁ、いちいち炎上を気にしないとTwitterを楽しめないということはなにかおかしくはあるのですが、一人二人ならさておき30人を超えた頃から人間を一人ひとりとして認識するのは難しくなり、ダンバー数を超えた頃には「同じような人間」と捉えることすら難しくなり、「モノ化」が始まります。

そして、Twitterの相手が顔がある存在ではなく、モノのように消費できる対象と感じた時、そこに生じるのは「交流」ではなくて「現象」にちかいものではないでしょうか。ですから、Twitterの中で起きている「現象」をしっかり見据ることが(特にインフルエンサーになりたいなら)必要になります。

炎上を超えるためには

しかし、「こういう状態だから黙っていなければならない」というのもつまらないんですよね。この前、Twitterでオーストラリアの森の焼け焦げた跡にみずみずしい芽が出る美しい写真を見ましたが、燃えたあとにこそ発見されるなにかもあるわけです。

また、「燃やすい環境」は事前に可燃物を分散させるとか、環境を整えることでリスクを減少させることができますよね。オーストラリアの今の異常気象を根底から解決するためには火を消すことではなく、地球規模で温暖化現象とかに目を向ける必要がある。

それと同じレベルで「Twitterの炎上」はTwitterの内部だけでなく、とりまく社会現象だとか、日頃の行いとか、ミクロからマクロまで通して考える必要があるのだな、と思うのです。まぁ、私ができているかというと割と境界線で半裸で踊っているだけなのですが。あまり怒られない範囲でこれからも踊っていきたいと思います。

これくらいで

では、今回はこれくらいで。皆様、炎上の風向きを考えながら踏ん張っていきましょう。では。

※この記事は本ブログ「世界は言葉でできている」のコラムを再編集したものです


妻のあおががてんかん再発とか体調の悪化とかで仕事をやめることになりました。障害者の自分で妻一人養うことはかなり厳しいのでコンテンツがオモシロかったらサポートしていただけると全裸で土下座マシンになります。