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告白!?

中学生の時に 華道を習いたくて、同級生のお母様が先生をなさっている『華道一生本流』に通い始めました。学校にも華道クラブがあったと思うのですが、正式に本格的にやりたかったのです。

「いけばな」を学び始めて 花の美しさを改めて知り、一本の花だけでも空間の雰囲気を変えたり、実際には見えないけれど 花の奥の景色をも表現できることに魅了されました。嬉しくて…一番最初のお稽古で 木イチゴとチューリップ、フリージアを生けたことをはっきり覚えています。

もともと花が大好きだったのと 先生との相性が良かったので、早々にそれなりに生けることが出来るようになり 展覧会などにも出展の機会を沢山いただけました。

まだ、子供だったので 井の中の蛙大海を知らず…と言いますか、全能感と言いますか、とにかく自信満々でした。

そんな状態で花屋へ就職です。「いけばな」と その頃のアメリカのフラワーデザイン理論をベースにしたジオメトリックデザインの「フラワーアレンジメント」は 別物でした。(…後の ヨーロピアンスタイルと言われるデザインは「いけばな」経験者の方が上達が早いですが)


自分がダメ出しされるという屈辱と感覚的な指導方法に、花が嫌いになりそうでした。

「いけばな」の先生は、とにかく優しい指導でした。まず褒めてくださるし、もっと良くするには…という指導をしてくださる方でした。どこをどうすればどう変わるのか、とても明確に教えてくださいました。現在の、私の礎になっているのは この指導法です。

昔の花屋の技術指導は、異なる方法でした。嫌で嫌で仕方なかったです。人が上達するには どんな雰囲気が大事なのかという視点は無かったように感じます。威圧的な態度の指導者や 出る杭を打つような人として未熟な指導者もいました。

でも、その先輩方に対して、悔しくて見返したくて 早く結果を出そうと 全てに積極的に取り組んでいたと思います。悔しいという気持ちは、時に ものすごいエネルギーに変換されるのです。若い時の私にとっては、結果的に 効果的指導と言えたのかもしれませんね。

そうして、数年後に自分が指導者達の一員になった時、その嫌な指導方法を受け継いでいた残念な期間があります。教え子の後輩達に 本当に申し訳なかったと思っています。私らしくないと忠告してくださった方のお陰で気付き、人は弱い生き物だと知り、自分自身が恥ずかしく、二度としないと決めたのです。

自分がされて嫌だったことを忘れず、気分良く行動するにはどうしてあげるのがいいか、どんな言葉を使うのがいいかを意識するように変化していきました。

指導者の立場で勘違いが起こるのは、自分のことを凄いと思ってもらうことが主となっている人、承認欲求の強い先生が困った状況を作り出しているように思います。

教わっている人達が いかに早く成果を挙げられるか… 楽しい気持ちで取り組めることは上達に必要な要素で、それは指導者の力量で差が出ることですね。

私は、華道で出会った素晴らしい指導者のお陰で 自分らしい教え方、伝え方を身に付けることができました。感謝です。

何かを教えるということは、そのものの教えや技術を伝えるだけでなく、その人の生き方に影響を与え その周りの人にも派生する壮大なことなのではないでしょうか。


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