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みんな無駄だった

「イラストレーターになっていた」では、この10年あまりのいきさつを駆け足で振り返った。書きながら思い出すさまざまなエピソードを、どこまで実際に書くか。あったことを都合よく省略(編集)してストーリー化することには、多かれ少なかれ欺瞞を感じてしかたがないが、枝葉をバッサリいかなければ、テキストは延々とつづいてしまう。そんなに長くはしたくない。関係者が読んだら、「こいつ、自分のいいように書きやがって」と思う部分もあるかもしれない。実在しない(少なくとも、書いている時点では)読者の声を払いのけながら、次の一文を探す。

小さいころからイラストレーターになりたかった、というストーリーに仕立てることもできたけれど、僕はそれをしなかった。全部が嘘ではないとしても、ほとんどが嘘になってしまう。「なりたいもの」があって、それに向けて力を注いで、時間をかけて達成する。僕はそういうことをしてこなかった。その都度できることをして、できるだけのものになった。「キャリアデザイン」なんてないし、それを要求されるような場には、近づくことができなかった。

大学4年生、就職活動のシーズンを過ぎた夏ごろ。その日はなぜか気が向いて、はじめて大学の就職課に足を踏み入れた。馴染みのない中小企業の求人の貼り紙が、掲示板にちらほらと。営業、事務、営業、営業……。しばらく眺めていたら、足がすくんだ。内臓がふわっと持ち上がるような感覚が襲う。ジェットコースターのコースの山なりになった部分を駆け抜けたときの、あんな感じ。そしてそのまま、臓物が口からまるごと出ていってしまうんじゃないかって。怖くなって、急いでその場を立ち去った。

読んできた文学、見てきた映画や演劇、それらを通じて考えてきたこと。そのすべて、意味がなくなってしまう(いや、きっと、ほんとうはもちろん、無意味になったりなんかしないし、それまで学んできたこととまるで違う分野の仕事をはじめたとしても、生活者として日々を過ごす中で、意識せずとも反映されることはいくらでもあるはずだ、だけど……)。これまでの自分では、社会のどこにも接続できない。小学校のお楽しみ会でコントを披露したころから、ずっと憧れてきたあれこれ。いまだって試行錯誤しているあれこれ。みんな無駄だった。みんな行き場を失ってしまう。声を上げそうになるのを抑えながら、神保町の街を小走りで通り過ぎる。半蔵門線に乗って渋谷で降り、僕は映画館に逃げ込んだ。

ウェス・アンダーソンの『ダージリン急行』。大きなトランクを抱えたエイドリアン・ブロディが、いままさに発車していくダージリン急行を追いかけ、ギリギリのところで列車の最後尾に飛び乗る。キンクスの「This Time Tomorrow」が流れる。明日のいまごろ、僕らはどこにいるんだろう。映画館の暗闇の中、スクリーンを見つめる当時の僕は、別に明日も久我山のアパートにいるだけだった。

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