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イラストレーターになっていた

僕はイラストレーターになっていた。

開業届を出して、確定申告もしている。それほどたくさんの仕事ができているわけではないが、日本だけではなく、海外からも問い合わせのメールがやって来るようになって、フランスではまんが家デビューもしたし、中国ではアーティスト・エージェンシーに所属することにもなった(*1)。自主企画ではあるけれど、個展も何度か開催できた。さすがにもう、誰が見ても「イラストレーター」と呼んで差し支えない活動をしてきている、はずなのに、それでもどこか心許ない。

大学は文学部に通っていた。受験では文学部しか受けなかった。文章を書く仕事をするんじゃないかと思っていたし、小説や映画や演劇、その構造や受容のされ方に強い関心を持っていた。中学生のころから、なんらかの「作家活動」をして生活の糧を得ていくイメージを抱いていて、会社勤めをすることはほとんど考えたことがなかった(父は会社員にもかかわらず)。就職活動の時期になると、家族からのプレッシャーや周囲の学生の様子に怖気づき、セミナーや会社説明会にも少しだけ顔を出したが、すぐにドロップアウトした。このとき抱いた社会に対する引け目は、いまでも折にふれてぶり返す。

大学卒業後はデザインの専門学校に通った。大学にいるあいだには、高校時代の仲間とウェブサイトを立ち上げてコラムを連載したり、アニメーションを制作したり、出版社にまんがを持ち込んだり……と、あれこれ試してみたものの、そのまま仕事に直結するような実力は(いま思えば、熱意も覚悟も)なかった。頭の中に「これがおもしろい!」というイメージと確信があっても、具体的な技術とともになければ、それが現れ出ることはなく、社会との接点も持ちえない。得意分野を伸ばして、まずは「具体的な技術」を身につけようと、ビジュアルデザインを学んだ。

専門学校在学中に、映像を軸としたパフォーミング・アーツのカンパニーを仲間とはじめた。そこではおもに、作・演出を担当した。卒業後の2013年までに4度、自分たちで劇場やそれに類するスペースを借りて公演をおこなったが、継続していくのは難しかった。なによりお客さんが少なく、お金もつづかない。年に1度か2度しか作品を世に問うチャンスを得られないのもつらかった。いわゆる「演劇人」になることにも違和感を抱いていた僕は、小劇場シーンともほとんど関わりを持とうとしなかった(飛び込んでいくのが怖かった)。この活動を通して、離れていったひとや、会えなくなったひともいる。ただ保留にしているだけで、いまだに整理がついていない。もしかしたら、この先ずっとそのままなのかもしれないけれど。

一方、専門学校卒業後は、カンパニーの活動と並行して、すぐに「イラストレーター」を名乗り、行動をはじめた。〈おならコレクティヴ〉と称するフリーペーパーを自主制作し、そこには短いまんがを描いて、全国の書店やギャラリーに置かせてもらい、配布した。「Vol.01」を自宅で制作している最中に東日本大震災が起こったのは、強烈に記憶に残っている(当時もいまも、東京で暮らしている)。シリーズ累計で2000部ほどを配ったが、商業ベースの仕事にはつながらなかった。とはいえ、思いがけないひとたちと交流するきっかけになり、得がたい経験をもたらしてくれたのは間違いない。

商業誌からはじめての依頼が来たのは、学校を出てから3年後のこと。最後となった劇場公演が終わり、挫折感に打ちひしがれ、ほとんど身動きがとれないまま年を越したあと、元日から一念発起。毎日イラストを描いて、ウェブサイトにアップした。ひと月あまりつづけたころ、依頼のメールが届いた。その案件は2年間のレギュラーとなり、継続して仕事ができたおかげで、まとまった実績をつくることができた(ほんとうに感謝しています!)。

実績がないから門前払い、という状況をこれでようやく脱せた。難なくクリアできてしまうひともいるだろうが、この関門はあまりにも大きい。「いつ商業デビューできるんだろうか?」と思い悩む日々は過ぎて、今度はどうやって仕事を継続し、モチベーションを保つかに、悩みはシフトしていった。自分のイラストが雑誌に掲載されても、「まあ、描いたから載るよね」といった感慨しか湧かなくなって、誰かに届いている実感を持てないのが、さみしくてたまらなかった。イラストを見てくれるひとに会いたい。その思いで、個展を開催することを決めた。個展でお会いするお客さんやギャラリースタッフのみなさんの声が、その後の制作の支えになって、今日もどうにかイラストレーターをつづけられている。

でも、なんだか心許ない。もどかしい。これまでの経緯をこうしてまとめてみても、なんでイラストレーターになったのか、ほんとうのところ、よくわからない。いや、もちろん、子供のころから絵を描くことは大好きだった(絵についての思いは、ここでは書かなかったけれど、いずれまた別の機会に書いてみたい)。かといって、まっすぐ絵の道に進んだわけではなくて、いつももっと得意なものが自分にはある気がしていた。しかし実際、いまのところ、僕にとってはイラストが社会とのほとんど唯一の接点で、これをつづけていくことに、いっさい迷いはない。

イラストは、なにかさらに大きなものの一部なんじゃないか。そんな気がしてならない。この気持ちが消えてしまったら、イラストを描きつづけることも、もっとおもしろいイラストを描くことも、きっとできないだろう。不遜かもしれない。自信があるのかないのか、どっちなんだ。自分でもよくわからない。よくわからないけれど、僕はイラストレーターになっていた。

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*1 2023.1.16 追記:中国のアーティスト・エージェンシーは、こちらから契約更新しない旨を申し出て、2022年3月末日に離れています。パンデミックと重なって仕事につながらなかったことや、海外の案件もすべて自分の裁量で取り組みたいと思うようになったことが、おもな理由です。

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Photo: Rika TOMOMATSU

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