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映画「ソナチネ」皆、バイバイを背負って生まれてくる

昔、ビートたけしのエッセイを読んだことがある。
うろ覚えなので正確ではないのだが(もしかしたら他の人のエッセイだった可能性もある)、そこに書いてあったのがこんな内容だった。
少年時代に友達と外で遊んでいて、時間が遅くなるにつれ一人ひとりと家に帰って行ってしまう。そこで自分が最後の一人になってしまう寂しさ。

私も小学生の頃によく似たような経験をしたので、とても共感したのを覚えている。
私の場合は学童っ子で、小学校に隣接する学童だったので放課後に外遊びをするときは決まって広い校庭で遊んでいた。
缶蹴り、かくれんぼ、ドロケイ、Sケン、爆弾(ボール遊び)、ゴムだん、竹馬・・・、学童の先生が教えてくれた遊びに明け暮れる日々。
夕方に近づくと、お迎えがあった子から呼ばれて帰っていく。
明日も会えると分かっているのに、それでも寂しい。
「バイバーイ」と去っていく友達を見送る。
だんだん遠くなっていく友達の背中。
また一人、また一人、校庭からいなくなっていく。
影はだんだん伸びていく。
そのうち影も見えなくなって、宵の色に染まっていく。
広い宇宙に自分だけがポツンと一人取り残されたみたい。

心にぽっかり穴が空いたような、孤独。
村川もそんな感じだったのかな、と思う。
一人、一人と仲間が銃弾に倒れ闇に消えていく。
ピストル、マシンガンの銃声が激しければ激しいほど、村川の孤独の音色は深く濃くなっていった。
昼と夜。海と陸。気質の世界とヤクザの世界。
色彩も音も概念も、コントラストが抜群に映えて鮮烈な画面を放つ物語だった。

暮れゆく物語は、ある一日のようでもあるし、あるひと夏、一生涯にも見える。
どんなに楽しく賑やかだった日も、確実に暮れていく。
見送る側でも、見送られる側でも最後は必ずお別れになる。
人は生まれた瞬間からそういう宿命を背負って生きているんだなーとしみじみ感じた。

・・・おなか空いた。

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