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卒業式から考える“令和2年”

 アタシは一応大学まで出た人間ではございますが一番強く印象に残る卒業式は小学校の卒業式ですね。時は平成41992。弾けたとはいえまだバブル景気の余韻冷めやらぬ頃です。

 普段は結構だらしない恰好でも一向に平気なクラスの連中もネクタイを締め、ガキっぽい立ち居振る舞いを明らかに相当“我慢”していました。「空気」がいつもとは大きく違っているのが小学生の自分のアタシにも分かりました。勿論卒業式に向けての練習は卒業生も在校生もほぼ毎日駆り出され、「卒業生の皆さん、後は私たちに任せて下さい。」「安心して心も体も強い中学生になって下さい。」「卒業生の皆さんが残してくれた輝く伝統を私たちは守り、明日から励んで参ります。」と在校生によるいかにも建前第一主義の日本の小学校らしいセリフはもとより卒業生の「答辞」に舞台へ向かうまでの足の踏み出し方や退場の作法等々細かく定められ、ちょっとでも間違うと怒鳴られて最初からやり直し。頗る退屈で鬱陶しい。ところが卒業式本番だとそんな感情はどこかに吹っ飛び、式次第もそつなくこなせるから不思議なものです。・・・何と申しますか荘厳で、いやが上にも高揚感が高まって来るような強烈無比な感情がこみ上げて来ました。

 更に無事卒業式の終了後に開かれた親子で囲む宴、即ち給食会がこの特別な感情を一層高めるのに貢献しました。流石に卒業の日の給食だけあって豪華! グラタン、エビフライ、ピラフ、デザートの果物にケーキと豊富な種類のメニューを好きなものを自由に取って良いバイキング形式。いつもは炎天下の真夏日に限ってグラグラに煮立った筑前煮やおでんが出たりするくせに一体どこからこんな贅沢でサービスの良い給食が出て来たんだと云いたくなりますな。しかしまあ、実に普段の給食のような堅苦しい雰囲気は微塵も無い和やかな給食会でした。ちなみにこの日、暑いと云う訳では無いのですがやけに体が火照るんですよね。教室の暖房が効き過ぎていたせいもあって児童・親御さん皆一様に頬が鮮やかなピンク色をしていたのを今でも昨日の事のように覚えています。そして最後に全員で「金色の道」を合唱して散会となりました。正真正銘真の別れです。帰り道、多くのクラスメートが親御さんに連れられてそれぞれの自宅、それぞれの進む道へと去って行く・・・所沢市富岡小学校6年3組卒業生諸君の幸福な生涯を切に祈ります。

 もし同小学校平成4年卒業の方にお会いする機会があったらこの文章を薦めてみては如何でしょうか。「ホラ、結婚して苗字が長島から佐々木に変わった女の先生のクラスで毎日のように泣かされて帰っていた子が居ただろう? ソイツが書いたんだよ。」と云えば恐らく分かるでしょう。何しろアタシがほぼ毎日下校途中に泣かされていたのは同じクラスや同じ学年はもとより下級生にも多数目撃されていて結構有名でしたので(苦笑)。

 おっと、本題の「卒業式から考える令和2年」を忘れていた! アタシは母校の後輩達に普段の給食でアタシが食べた卒業の日の給食と同じくらいのレベルの給食を食べさせてやりたい! どうすれば良いか? 「改革」路線ですっかり貧乏になってしまった民衆にそんな力は無い。ならば政府が十分過ぎるくらいのカネを出せ! 人類史上空前絶後の積極財政が全ての解! これが本日のオチでございます! チャンチャン! 


#みんなの卒業式

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