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カーコラム「WRCメモワール "WRカー元年の1997年、初戦モンテカルロラリーで勝利したスバル"」


 WRC全戦のその中で最も勝ちたいイベント、自動車メーカーとして最も貴重な勝利となるラリーはどのWRCなのだろうか? かつて日本の自動車メーカーは、それを最もタフで長距離の「サファリラリー」だと考えていた。そのため日産も三菱もトヨタもそしてスバルも、まずサファリラリーからスタートし、WRC全戦チャレンジへとスタートしていった。

 しかし、それは昔のこと。1970年代から80年代にかけてはクルマの信頼性が問われた時代であり、カーブレイクラリーと称され、最も過酷なアフリカ・イベントであるサファリラリーでの勝利には大きな意味があったのである。

 その一方で、「最も価値あるWRCウィンは?」と問われたら、それは「1911年に始まり、最も歴史あるラリーのモンテカルロだ」と答えるのが正しいのかもしれない。89年の第57回モンテカルロラリー、ランチャは1位にミキ・ビアシオン、2位にディディエ・オリオール、3位にブルーノ・サビーと入り、上位を独占。その結果を見てか、フィアットのアニエリ会長がフィニッシュラインへと現れた。姿を見せないことで有名な人物、その大物が来たのだ。これが、モンテカルロラリーの価値なのである。

 そして97年モンテカルロ、そのウィニングサークルに立ったのはイタリア人のピエロ・リアッティだった。彼は「モンテカルロラリーだけは特別だ。これは他のWRCとは比べようもない価値がある」と語った。

 なぜ97年モンテカルロラリーは、さらに特別なのかというと、この年からWRCは、より特別なワールドラリーカー「WRカー」という車両規定になったからだ。そしてその1戦目がモンテカルロラリーだったのである。

 そのWRカーを最初に発表したのは、スバル。93年1000湖から使っているインプレッサWRXをモディファイして、前年の11月カタルニアラリーで初公開、その魅力的なワイドボディに多くの注目が集まったのである。そしてスバルはコリン・マクレーとリアッティの2カーエントリー。一方、フォードもエスコートをベースにしたWRカーを用意。カルロス・サインツとアーミン・シュワルツを乗せた。

 この年のモンテカルロラリーは、その最初のステージとしてモナコのグランプリコース、その一部のヨットハーバー近くを使ったSS1で始まったが、突然の大雨。セリカに乗るフレディ・ロイクスがベストタイム、2位サインツ、3位にコリン・マクレーとリアッティが同タイムで入った。そしてラリーの本番は、そのモナコから381kmも走ったフランスのバレンスを中心に始まった。

 97年は雨、そして雪の多い年で、まずはフォードのシュワルツがコースオフ、スバルではマクレーが大きなタイムロス。第1レグ初日の結果はトップにサインツ、3秒遅れで三菱のトミ・マキネン、3位に24秒遅れのリアッティ、4位にいるマクレーとロイクスは2分12秒も離される結果になり、戦いは上位の3人だけとなった。そして第2レグ、これはマキネンがトップで、リアッティは24秒差の2位、その3秒後にサインツという激しい戦いになり、勝負は最終第3レグへと入った。

 モンテカルロラリーの難しさはタイヤチョイスにある。それは多くのSSが、スタートとゴールが山の入り口近くで、その中間に標高の高い山の頂上がありこの部分のみ氷や雪というコンディションだからだ。どんなタイヤを選ぶか、それによって大きくタイムが変わってくる。

 そして最終レグ、先頭のマキネンはタイヤのミスチョイスをしてしまう。これでリアッティが最終レグ最初のSS13でトップに立ち、そのまま逃げ切ってしまったのである。スバルにとっては、95年に続く2度目のモンテ勝利。そしてリアッティにとっては大きなWRC1勝目だった。


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