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なんなら言語化した時点で3%くらいズレてる。

最近やたらと「note毎日更新!」系の記事が目につく。
つまり、ぼくも無意識のうちに毎日更新がやりたいんだろうと思うのですよ、わかんないけど。
(それか単純に仲いい人たちがいっぱいやってるってだけかもしらん)


僕も以前やっていたのでわかるのですが、毎日更新は楽しんですよね。ある種のランナーズハイというか。「お、今日もか?やったろうじゃねーか!」みたいな。日々自分が考えてることがクリアになるというか。

ただ僕の場合は、ちょっとよくなかったなーって思うことがあってですね、それはなんか言語化することにより、思考が固定化された、ってのがあるんですよ。

説教臭くなった、と言い換えてもいい。

たとえば、1つのnoteで1つのことを伝えようとしすぎると、どうしても言い切りの形が多くなったり、〜しようぜ!みたいな締めが多くなったりする。今時点で自分が思っていることだからいいっちゃいいんだけど、なんかなーと。それ以外を受け入れる余裕がないというか、すり減っているというか。

ちなみに脱線するんですが、これは講演に出て喋ったり、なんか偉い人として扱われたりするときにも行われている現象な気がしてて、

ぼく「〜ということになっています!」

聴いてくれてる人「おおぉ!」

みたいなの繰り返すと、どんどんしょうもなくなっていってる気がしてしまう。求められているということで、現時点での知見を話すことはありますが、そんなものアップデートされるに決まってるし、なんなら言語化した時点で3%くらいなにかズレてる。その感度がなくなったらある意味終わりだと思っているわけですよ。


んで、話戻すと、「noteの毎日更新!」にはそういう効果がある(ような気がする)。

一方でこういう文章はすごくいい。
自分でも中身ないなーって思ってるやつ。
いい。雑談。
もしかしたら毎日更新をしている人たちはこういうのをしてるのかもしれない。僕がただ勝手に自分で無理やり「毎日更新はこういうものだ」と枠にはめてただけかも。(ありうるなそれ。。)


肩肘張らず、その日感じたことを独り言のように残しておく。
それは続けたいかな。


しかし、「肩肘張らず」って日本語いいな。すごく状態が想像できる。

こんな感じで文章を終わることもありなように。
おあとがよろしいようで。



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