正解と不正解
坂爪圭吾さんの最新のいばや通信(一歩踏み込む。)
を読んだ。
先日、坂爪さんは「言葉で話すより身体でぶつかりあった方がいいと思うことがある」というようなことを言っていた。だから今回のいばや通信はタイムリーだな!と思った。
そのいばや通信の中にあった、頭から出ている言葉と腹から出ている言葉というワードを読んで私は、いつからそんなことを考えなくなったかな、と思った。
まだまだ私が色々なことにジャッジをしていた頃は、これは間違いでこれは正解、と瞬時に判断をしていた。ここのところは厄介なのを私は知っている。
YESかNoか、白か黒か、どちらかハッキリさせたい性格である私がジャッジをやめたのには大変な苦労があった。どうやってやめられたのかと訊かれたらそれは分からないと答えそうになる。
ただそれをやめただけ、と言うのもそうなんだけれど、そんなに簡単なことではなかったし、いろいろなことに苦悩して、最終的にはただぶん投げただけというのが正しいかもしれない。
というか、私の決断が全てYESであってNoである。
私がこうだと思うことは、どちらかを選んだのではなくて、それしか選択肢がなくて(1つしかない)それを選んだ。そう言うしかない。
結果はどうであれ、俺の選んだことは全てが正しい。正しいというのは、一般的に使われている意味の正しいではない。
選んだことが正しい。それでもあとで「あーあの時あんなこと言わなきゃ良かったなあ」と思うことは多い。だけど、その時は北斗神拳の秘孔をつくのと同じように、寸分狂いない正しいをやったのだから、あとはそれを忘れるのみ。それしか人間には残されていないのだ。
だから、常に私は体当たりなのかもしれない。姉もそうだ。嫌なこと・苦しいことがあったら、散々クヨクヨしながら怨念の塊になろうが、いつかそいつらを一本背負いする。悲しみながら、傷つきながらもほんの一割にも満たない「いつかぶっ壊す、ひっくり返す」を秘めて生きる。
それでもそれでもキツくてしんどくて、どうしようもない時の秘技を紹介しよう。
ビリー・ミリガン(24の人格を持つ男)を降臨させる。
ありませんか、自分の中に別人格の人間がいるって思うことが。磯野貴理子のように喋り倒してくる自分、ドラマ高校教師の桜井幸子のような自分、などなど。
それらをうまく活用し、乗り切るのだ。
磯野貴理子が降臨している時は、「あーこんなに明るくないのにな、でも貴理子に任せよう。そして貴理子の良いところを自分にも取り入れよう」と思う。色んな人物が混ざりあって、「ほっほっほ、私の戦闘力は53万です」と言えることが出来たら良い。どこか現実逃避でありながらも、何とか乗り切ることが出来る方法だ。姉もこのことを知っていた。(あんまりうまく書けなかったので、リクエストがあれば姉にお願いしてみます笑)
私もぶつかり稽古をしたい。久しぶりに姉と!
時間がたくさんあったら、居酒屋に行って、お風呂に入って裸でゲラゲラと笑いたい。
腹の底から笑って、失禁したい!!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?