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永劫回帰千円札

「これ、君にあげるよ」

K君は、そう言って薄い札束を僕の目の前に置いた。手にとってみると千円札が数枚あるようだ。K君は裕福な家に生まれ、何不自由なく生きてきたらしいが、金持ちにありがちの性格破綻者ではなく、貧乏な僕にも平等に接してくれる。僕が明日の生活にも困るような貧乏人であることを知っていて、同情してくれているのだろう。僕は、これまでK君に一度も無心などしたことはないので、少し驚いた。

「なんだい? お金じゃないか」見ればわかることを意識的にとぼけて言ってみた。彼の親切に対する照れ隠しだ。

「千円札十枚さ」

「いいのかい? 一万円だぜ」

「いいんだよ、好きに使ってくれよ、何でも買えるぜ」

(と言っても一万円だろ… )心の中で失礼なことを言ってしまった。

「バカだなぁ、これは永遠に使える千円札なんだぜ」

(おいおい、聞こえてるのかよ!あ、しまった…)

「あははは、僕がテレパスだってことを忘れたのかい?」

「ごめんごめん。忘れていたよ。そんなことよりも、この千円札が永遠に使えるって…どういうことだい?」

「この千円札十枚は、いくら使っても無くならないんだよ」

「どうして?」

「今から説明するよ」

「うん」

「とにかく、いくら使っても手元に戻ってくるのさ。例えば、何か買ってこの千円札で支払うだろう? 支払った千円札はレジに入れられるだろう? でも一定時間を経過したのちにレジから瞬間移動して手元に戻ってくるのさ」

(千円札が一定時間後に瞬間移動…?)

「そうそう、この千円札は、君の手を離れてから五分後に自ら原子配置を変えて転送し、持ち主の手の中に戻るように細工されているんだよ」

「ホラー映画のザ・フライのような…」

「そうそう、同じだよ。これは本物の千円札だけど、僕が何度か転送装置を使って原子分解させて、原子ひとつひとつに、元の原子配列に戻るようプログラムしたのさ」

「君が転送装置を作ったのか?」

「そうだよ」

「これは本物の千円札なんだね?」

「そうだよ」

「ふーん…。そうか…でも一万円じゃなぁ…。今どき、一万円で買えるものって、たいしたものじゃないよ」今度は失礼なことをはっきりと口に出してしまった。

K君が笑った。

「いいかい、確かにここには千円札が十枚で合計一万円しかないけれど、この十枚は永遠になくなることがない、いわば“永劫回帰千円札”なんだよ。君が持ち主である限り、君の手元に帰ってくるんだよ。一万円の範囲で飲食しても、手元にこの十枚は残るだけでなく、お釣が貰えるんだよ。使えば使うほどにお釣りが上乗せされていくのさ。それにね、パチンコとか競馬競輪競艇に宝くじにだって、いくらでも使えるんだよ」

「宝くじなんて当たった試しがないし、パチンコに賭け事なんてやったこともないよ」

「あ、なるほど。だからわからないのかな? あのね、宝くじも賭け事も当たらなくても、このお金はなくならないんだよ。だから当たるまで何度だってくじや投票券が買えるんだよ」

「わかんないな」

「とにかく、当たるまで何回も賭けられるんだよ。万馬券ばかり買っていれば、そのうち当たるさ。一攫千金の大当たりさ。万馬券じゃなくてもいい。手堅く賭けても当たった僅かなお金は貯金していけばいい。パチンコだって少しずつ勝てばいいんだ。必ず儲かるよ。僅かな儲けでも使わずに貯めていればいい。飲食には、この千円札十枚を使うんだ。もちろんお釣りは貯金していくんだよ。この千円札十枚は絶対になくならないんだから」

「何となく分かったよ」

僕は、ようやくこの千円札十枚のありがたさに気がついた。僕はK君に抱きついてキスをした。

「わ、やめろよ!」

「ありがとう、ありがとう、本当にありがとうございます‼」

それから僕は幸福な時間を過ごした。あっという間に貯金額は五千万円になった。しかし…ある日、僕は根っからのだらしのなさから大きな失敗をしてしまった。

「K君、失敗しちゃった。君に貰ったあの千円札十枚なんだけど…」

「どうしたんだい」

「お金が貯まったらさ、普通の千円札とあの千円札の区別がつかなくなっちゃってさ、間違えて貯金しちゃったみたいなんだよ」

「あははは、面白いね。すると、銀行経由で他人の手に渡ったわけだ。銀行経由となると複数の人間の手に渡った可能性が高いね。あれは持ち主の手に戻るプログラムを組んでいるから、君の手から離れて誰かの所有物になった途端に君の手には戻ってこないんだ」

「ええ、そうなんだ…」僕は取り返しのつかないことをしたのだ。

「いいじゃないか。永劫回帰千円札の新しい持ち主は、幸福になっているんだからね。君は凄く良いことをしたのさ。世のため人のためと口ばかりの政治家より役に立ったんだよ。僕は君を誇りに思うよ、あははは…」

僕はK君の屈託のない笑顔が少しだけ憎らしかった。

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