見出し画像

タイガー立石

「タイガー立石」

Eテレの日曜美術館を観ました。昨日は「タイガー立石」を紹介していました。

タイガー立石…本名は立石紘一。福岡県田川市に生まれました(うちのかみさんの故郷です)。立石は、画家であり、漫画家であり、陶芸作家でもあった天才です。少年期には手塚治虫や杉浦茂などの漫画の影響をうけたそうです。彼の作品群をみると、杉浦茂の影響が最も大きかったと思います。

当初は油彩画家でした。描くものは奇妙な被写体ばかりで、ポップアートとも称されるものでした。富士山など日本の象徴に併せて当時の流行物やら時代背景などを盛り込んだ前衛的な作品ばかりです。

しかし、ある日(1968年)、突然として前衛漫画家“タイガー立石”として登場するのです。赤塚不二夫に影響を受けた(僕は杉浦茂だと思うのですがね)ギャグ漫画を描きました。人気が出て、収入も増えると次のレベルに移行したいと思ったのか、27歳で漫画家を辞めて、またまた突然としてイタリアに移住。漫画のような「コマ割り絵画」を発表しました。コマ割りだけでなく、漫画のようなストーリー性があるものです。

「僕の敬愛する星新一氏は、早くから完全な無の状態より黄金の掌編を作り出す特異なノウハウを会得され、結果として千を超えるショートショートを生み出した。僕も常々、視覚的な手法であらゆる発想をショートショート的に表現できないものかと考えた」と語っています。

これしか自慢できることはないので書き添えますが、星新一は、僕の血のつながらない姻戚であります。

再びしかし、またまたまた突然として日本に帰国し、1995年に千葉の養老渓谷にアトリエ兼住宅(それ以前は明治資料館でした)を建てて、絵本描画に進出、立石大河亞(たていしたいがあ)と名乗り、多くの絵本に関わりました。90年代には立体に興味が募り、陶芸作品も多く作りました。

僕が敬愛する漫画家のつげ義春は、立石がアトリエとする前の明治資料館に立ち寄った際のことを「貧困旅行記」に書いています。

画像1

あ、何か落書きしていますね。

「鉄橋を渡ると川辺に「明治資料館」という看板を出している農家がぽつんと一軒あった。

―道を間違えて来て、この資料館はあとで収穫になったが…私は宿を決めるほうに気がせいて通り過ぎた(中略)ワラ屋根にトタンを被せた資料館は、公営かと思ったら私営で、農家の土間の一隅に、昔の生活道具が展示というより雑然と置かれてほこりをかぶっていた。老夫婦でやっているようで、わずかな料金を払うと…」といった文章です。

僕は90年代に釣りをしていた頃に、養老渓谷にある、この明治資料館→タイガー立石アトリエの前を何度も通っているんです。知っていれば、生前のタイガーさんとお会いできたかも知れません。

そのタイガー立石の作品が、過日「田中一村展」を開催した千葉美術館で行なわれているそうです。ちょいと出かけてみますか。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?