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#CHANCE&WANDS

#チャート最高順位

週間1位(4週連続、オリコン)

1992年11月度月間2位(オリコン)

1992年12月度月間3位(オリコン)

1993年1月度月間1位(オリコン)

1993年2月度月間8位(オリコン)

1992年度す年間37位(オリコン)

1993年度年間10位(オリコン)

オリコン歴代シングルランキング36位

織田哲郎作曲で第1位

ビーイングでも第3位【 上位2曲は B'z 】

約24組が カバー

華々しい デュエット曲として、邦楽史に 名を刻んだ。

#CHANCE &WANDS

#WANDS を 綴ってみる。

ブレイクの きっかけは、上記の #中山美穂 とのデュエット。

中山は、以前から デュエットを希望していたが、誰でも 良いわけではなく、WANDSのヴォーカル 上杉が、理想に近かったから 実現した。

中山美穂といえば、90年代に入っても、トップアイドル、そして 女優開眼し、売れない 理由は、見当たらなかった。

が、レコード会社が、中山が #キングレコード

WANDSが、当時は #東芝 と、基本 著作権は キングにあって、WANDS側からの 収録は、#宇徳敬子 が 担った。

#きっかけは浅野温子

チャート最高順位

週間1位(2週連続、オリコン)

1992年度年間59位(オリコン)

1993年度年間11位(オリコン)

オリコン歴代シングルランキング54位

浅野温子のCMに 起用されるのだが、浅野温子の旦那であり、コピーライター #魚住勉と 共同で 作詞にあたったのが、良曲の きっかけと 振り返る。

#29週目にして1位を獲得

#世界中の誰よりきっと の ヒットに引っ張られて、こちらも ミリオンセラーと 同時に、WANDS最大のヒットを 記録する。

魚住勉と 共同でなければ、上杉ひとりでは、この曲を 書けなかったのではないか ?

当時、ビーイングは音楽の台風の目に なりつつあるが、そちらも この

#もっと強く抱きしめたなら の ヒットが きっかけと 読む。

この2曲だけでも 普通のアーティストなら 充分なのだが、WANDSの快進撃は 序章に 過ぎなかったのだ。

― つづく ―


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