少年隊の拡がる格差、止めれぬ退所

ジャニーズ事務所は 2020年9月20日、少年隊の 錦織一清と 植草克秀が 今年12月31日をもって、退所すると発表した。

👦 振り返り

少年隊は 結成は 早かったが、デビュー までは 時間が 空いた。

理由を 考えるに、田原俊彦、近藤真彦と1年ごと ずらして デビューさせ、最優秀新人賞を 取らせた。

残る 元たのきんトリオの 野村義男も 続けざま デビューを 目論んだが、さすがに 荷が重いだろうと 弟分の シブがき隊を 先に デビュー させた。

が 勢い止まらず、彼らも 最優秀新人賞を受賞。

さすがに これ以上 伸ばせないと、野村も バンド THE good-bye を 結成し 翌年 見事獲得する。

ここまでは、ほぼ シナリオ通りだが、1984年は 思い出したくもない 新勢力に あおられる。



チェッカーズ 🏁

吉川晃司 らだ。


彼らの 勢いは とどまらず、ジャニーズの デビュー組すら 歯が立たなかった。

そんは 逆境の中で、仮面舞踏会で 少年隊は デビューを 飾ったのだ。

そして 彼らも ダンスの上手さを 際立たせ 最優秀新人賞を 獲得する。

チェッカーズ、吉川晃司らの 独走を 止めたのだ。

植草克秀は、近藤真彦の 映画で やや 先に 知名度は あった。

錦織一清は、デビュー時点で 完成されてて、まさに センター だった。

が、人気が 集中したのは 東山紀之だった。


👦 追うから 追われる側に

少年隊は 先輩らを 救ったが、越えても しまった。

特に シブがき隊が 先に デビューしたのは、ダンスでは 少年隊に 勝てなかったから とも 聞く。

そんな 少年隊の 天下が 続くと 思いきや、まさかの 身内から 突き上げられる。



光GENJI

男闘呼組 らだ。


そう、いつしか 追うから 追われていたのだ。

👦 2008年が 分岐点か⁉️

光GENJI、男闘呼組らも 90年代に なると 振るわなくなった。

と いうか、アイドルが 不要と される 時代に 突入する。

当然、少年隊も 人気が 落ち始めるが、オリンピックに 合わせた 楽曲 『 湾岸スキーヤー 』の ヒットを 飛ばす。

好評の舞台、PLAY ZONEは 継続してたが、2008年を 最後に 3人が 揃うことは なくなった。

喧嘩や 確執では なく、ただ単に 東山紀之しか テレビで 見なくなった。

錦織一清も 植草克秀も 結婚等の 話題は あったものの 大々的に 報道は されなかった。

解散、活動休止は なかったものの、3人の バランスが 非常に 良くはなかった。

東山紀之が、事務所の 期待、意向を 汲み取り 行動し、後輩らも 彼に 憧れた結果なのだろうか、冗談ではなく、役員クラスの 上級ジャニーズに 東山紀之は なったのかもしれない。


👦 まだ 退所の波は 収まらない

ジャニーさんが 亡くなり、社長交代、35周年の節目だったが、その 節目に 何か 思った 結果、退所、卒業を 二人は 選んだようだ。

こうなると、まだ 退所者は 来年にかけて 出ると 思うのだ。

一般企業 同様、方針の違いは、プレーヤーが去る傾向に 高いと 思いませんか ?


最後まで お読みいただき、ありがとう ございました。

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