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クリームソーダに浮かぶ記憶

子供の頃、母が時々連れていってくれた洋食屋さんがある。
小さなショッピングセンターの上の階にあるお店。
そこで私が頼むメニューは、決まってアサリのトマトスパゲティとクリームソーダ。母と二人きりの、大切で大好きな時間。

家族で外食、という記憶はほとんどない。
「金がもったいない」が口癖の父。外食は贅沢なもの、という認識があったのだと思う。その父自身は、付き合いと称した飲み会に時々出かけていたけれど。(何度も言うけど、うちはお金はあるけど、家庭にお金が回ってこなかったタイプの貧乏だ 笑)
姉と兄とは歳が離れていたので、私は姉兄がいながら、一人っ子のような環境で育った。姉からは未だに「お前のおむつは私が替えた」と言われる。
(その節は大変お世話になりました。覚えてないけれど)

母が買い物に行くときは必ずついていった。
大好きな母を独り占めしているような、そんな宝物のような時間だ。

クリームソーダは、味ももちろん大好きだが、その見た目の美しさに惚れ込んでいた。ガラス越しの透き通ったエメラルドグリーン。どこからともなくしゅわしゅわと湧き出る小さな泡が氷の隙間をキラキラとすり抜けていく。しばらくうっとりとそれを眺める。
そこにバニラアイスを溶かすと、突然クリーミーな泡がしゅわしゅわと溢れてくる。魔法みたいでその瞬間が大好きだった。はじめの何回かは、一気にアイスを溶かしすぎて、グラスから溢れさせてしまった苦い思い出がある。その失敗を踏まえて、初めに少しだけソーダ水を飲み水位を下げ、続いてアイスを丁寧に少しずつ溶かす。そうしてできた泡を食べながら、アイスの半量をソーダ水に溶かす。そのあとで、食べる用にとっておいた半量のアイスを頬張る。程よく溶けたアイスのまろやかな甘さ。最高だ。
そんな一連の行動を大好きな母と一緒に楽しむ。至福の時間。

スパゲティも美味しいけれど、私の中でクリームソーダは、母との思い出が詰まった特別なメニューだ。

そして、もうひとつ。

昭和なデパ地下の一角には、様々な種類のキャンディー・ラムネ、クッキーやチョコレートがたくさん並んでゆっくりと回転している夢のような場所があった。小さな袋を手に、自分の好きなお菓子を好きなだけ詰めていく。
今も時々ショッピングモールで見かける、お菓子の量り売りだ。(さすがに回転台がついているものは見かけなくなってしまったけれど)
そのお菓子とのエンカウント率は、クリームソーダよりも低い。

母が、おそらくは誰かに贈り物をする時に訪れるデパートで、私は必ずそのお菓子をねだった。お菓子を詰めるときはとてもわくわくしたし、くるくる回転しているお菓子たちはみんな輝いて見えた。

子どものころは何もわかっていなかったけれど、母は、無駄遣いを許さない父の目を盗んで、私に幸せをたくさんくれていた。

最近、母の夢をよく見るようになった。

母が亡くなったばかりの頃は、会いたくても夢にも出てきてくれないし、思い出す顔は、亡くなる直前の弱々しい顔だ。
しかし、最近になって、ようやく元気だった頃の母を思い出せるようになってきた。一周忌が過ぎた頃から夢にも時々出てくるようになり、そこに登場する母は少しずつ若返っているように思う。

先日、母との思い出をひとつnoteに書いたら、そのあと、芋づる式にいろいろなことを思い出した。
楽しいことも、辛いことも。
あの時はわからなかったこと。
あの時感じた気持ち。

今思い返してみると、自分が未熟だったゆえに母を困らせてしまった時のことや、酷い父親から、私を守ってくれたこと。
そんな、母からの愛を再確認している。

ブログの方には、母が認知症になってからの辛い出来事ばかりを綴ってしまったので、noteには、母との楽しかった思い出を、未熟で恥ずかしい自分の行いを、これから少しずつ綴っていこうと思う。
母と過ごした日々を思い出すことが、一番の供養だと思うから。

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