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私の転機ヤング・グローバル・リーダー

ダボス会議とご縁を得て10年が経過した。2007年1月、世界経済フォーラムから突然届いたFedExの封を開けてみると、「あなたをヤング・グローバル・リーダーにノミネイトした」と書かれていた。なんのことだかよくわからなかったけれど、翌日のネットニュースで、自分がダボス会議を主催する世界経済フォーラムからヤング・グローバル・リーダーとして選ばれたことを知った。

それまで、グロービスの堀義人さんがメルマガで、ダボス会議での世界のリーダーたちとの交流について頻繁に書かれているのを羨ましく読んで私としては、胸が高鳴った。

初めての会議の参加は、中国大連で開催された第一回サマーダボス会議だった。200人くらいのヤング・グローバル・リーダーが集まった。ノルウェーの王子やオランダの王女、ウィキペディアの創業者と、住む世界が違う人達が何人もいた。

そして、スクリーンに投影されたのは、2030年の世界の姿を表すチャートの数々。温暖化や人口爆発など、様々な課題が世界にはあることを初めて目の当たりにした。その中で、最も驚いたのは2030年には日本がGDPランキング主要国から消えて無くなるというチャートだった。当時、まだ日本は世界第2位の経済大国だった。

数名のグループに分かれて、世界の課題を解決する方法を話し合った。ヤング・グローバル・リーダーの使命は、世界の課題を解決するために行動することだ。解決方法を考えるだけではなく、自らが動くことが求められる。

各グループからいろんなアイデアが出た。温暖化で海面が上昇すると、自分の住む国の大半が沈没するというメンバーは、水没を防ぐためのアイデアを熱く語った。

全ての子供達に教育の機会を与えるべきだと、1ドルPCを持ち込み、途上国に配布するための協力を求めるメンバーもいた。

遠い国々が直面する課題を自分の課題のように深刻に語り合う姿に、正直、呆気にとられた。

一足早くヤング・グローバル・リーダーに選ばれていた先輩メンバーたちは、Table for Twoという、過食による成人病と途上国の栄養失調の両方を同時に解決するイニシアティブを提案した。このイニシアティブは翌年日本でNPOとして立ち上がり、私も理事として参画した。Table for Two は、ダボス会議でも採用され、ヤング・グローバル・リーダーの中で最も成功したイニシアティブとして、今も語り継がれている。

私は40年近く、本当に身の回りのことしか見てなかったし、考えてなかった。ニュースで見聞きする世界は、私にとってバーチャルであり、とても、自分の手の届くところではないと思っていた。

その日、私は、初めて、世界のことが、自分も手を伸ばせば触れることのできることだと知った。

大きな転機となった。

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