悪魔の作り方〜映画MOTHERを見て〜

映画『MOTHER マザー』を見た。長澤まさみ主演。
シングルマザーでパチンカスの秋子(長澤まさみ)と息子の話。

秋子と息子はいつもお金がない。最初は生活保護をもらっていたが、全てパチンコに使ってしまい、電気ガスが止まったり。
紆余曲折あって保護を受けなくなり、ホームレス生活をしたり、フラフラしているホストについて行って窃盗に近いことをしたり、
その日その日でお金に困っては、楽に解決しようとして、少しずつ人の道を外れていく。


母は責任を逃れ、母を庇う息子

とにかく窮地になるとすぐ人や環境のせいにして、「自分は悪くない、被害者だ」と言い張る秋子。

・自分にお金や定職がないのは大学に入れてもらえなかったから(勉強はしてない)
・自分がクズ男に引っかかるのは子どもというお荷物があるから
・妹からお金を借りられなかったのは、息子が泣き落としに失敗したから
・息子が自分の指示による犯罪で警察に捕まったときは、「あいつが勝手にやった」「あいつたまに嘘をつくんですよ」

なんなら息子に対して、「あんたがいなくなったら〜〜はどうなるだろうね」と、脅迫じみたこともすぐにする。(劇中何度も)
息子への干渉なんて、息を吸って吐くようにする。というか、息子を自分の完全な一部と思っている。

そうやって、自分はとにかく楽な方に逃げ、全ての不利益を人のせいにして生きて行った末路が、人の道を外れた行為(詳しくは映画見てほしい)にまで至った。
とにかく秋子含め、登場人物がほぼほぼクズしか出てこないので見てて辛いし、息子の周平が、社会や他人から数回、救いの手を差し伸べられたチャンスに、毎度、母親が元の生活に引きずり戻す様子も見ていていたたまれなかった。

後半どんどんひどくなっていく状況に対して、とにかく人のせいにし続ける秋子と、母を庇い続ける周平の構図。気味の悪さというか、もはや他人が入れない神聖ささえ多少感じさせる。この人のこの悪魔のような所業、人間性は、どうして生まれてしまったんだろう、と、考えざるを得なかった。
というのも、自分の中で、この酷すぎる状況、この家族の話に、折り合いがつけられなかったからだ。

悪魔の作り方は、「他責」

人は、何か決定的な事件があって、急に人が変わるということで闇落ちするわけではないんだな、という当たり前っぽいことを映画を通して感じた。

人は緩やかに壊れていく。
「自分ではなく他人や環境のせいで私は可哀想な状況になっている」
そう思い始めた瞬間から、少しずつ逃げの連鎖が始まっていく。
でも、逃げたそれは必ず追ってきて自分に跳ね返ってくる。なぜなら原因が自分だから。そしてまた逃げる。
そんなことを繰り返していくうちに、余裕がなくなり、手を出してはいけないものに手を出したり、決して捨ててはいけない人の大事な部分を捨て置いてしまったりする。

こうして、悪魔のような人間、地獄のような事件が完成してしまったのだろうなと思ったのと同時に、
この『逃げ』と『他責』は、ごく普通に自分もやる可能性があるし、やっているかもしれないと思った。というか、程度に差はあれど、確実にやっている。そしてそれに気づけていない。
それが怖いなぁと思った。

最初、「シングルマザーが息子を育てる話」と書きかけて、「育てる?誰が誰を?ん?」となって、秋子が劇中の15年間、1ミリも成長していなくて、1ミリも子どもを育てたと言えないことに気づいた。
そんなことはないのでは、と反論する自分もいるけれど、その客観視を許さないくらい、強く感情に訴えてあの母親を敵視してしまう自分の心の動きにも、怖さを感じる。
悪魔というのは理解できない邪悪なものを指すと思うけれど、その言葉を使いたくなってしまうのは、きっと「俺は秋子とは違う」と極めて強く思いたいからだと思う。

そういう、自分を守ろうとしてしまう心の揺れ動き(というか動揺)を含めて、問題作だし、話題作だし、見てよかったと思った。




余談だけど、今年の映画『JOKER』の方が、最後は華々しかっただけあって、よっぽど後味よかったよ...と思った。
見た人はわかると思うけど、ラストの終わり方、本当に、なんだろう、ショッキングというか、救いがないよなぁと改めて思った。(少しネタバレごめん)

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