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3.11から10年 NHK仙台にいた自分が忘れないと誓っていること

ナレーターの熊崎友香です。俳協という事務所に所属しテレ東のWBSという番組などでナレーションを担当しています。俳協に入る前、私はNHKのリポーターとして、青森局と仙台局、千葉局、首都圏で働いていました。東北に少しばかりゆかりのある自分が、絶対に忘れないと、心に誓っていることがあります。

ある尊敬する上司の言葉です。

私が青森と仙台にいたのは、東日本大震災の少し前、わずか四年たらずの期間です。しかし、その間だけでも、大きな地震を、3回経験しました。一度は生放送中。一度は早朝(津波警報が発令されました)、もう一度は休みで旅行中でした。

仙台局では、中継のリポーター兼ディレクターとして、1週間、毎日同じ町からお伝えし、今週は◯◯町、来週は◯◯町と、次々と町を回っていく仕事をしていました。毎週が旅のようでした。

スタジオから何かをお伝えすることは、ほぼなく、朝から晩までずっと外にいて、街の人たちにお話を伺い、いろんなお願いをして、たくさんの人に集まっていただき、一緒に中継を出す。そんな日々でした。ディレクターも兼ねていたため、取材、構成、リポートまで担当していました。ちょうど楽天が開幕した頃です。

私はそんなわけで外にずっといたため、直接関わっていませんが、当時、NHK仙台では(9月ごろだったと記憶しています)、大地震が発生した時の放送訓練を行なっていました。かねり長時間の訓練で、実際に大地震が来た時、どんな放送をするか、力を入れてシミュレーションしていました。

それから何年も経ち、私も、当時仙台にいた尊敬する上司も、NHKの東京で働いていました。そんな時に起きた3.11の大震災。被害は想像を超え甚大でした。

それからまた数年が経ち、NHKを卒業することになりました。仙台でお世話になった上司に挨拶に行くと、こう言われました。

「この先も放送に関わるなら、津波のことを絶対に忘れるな。我々は津波が来たら逃げなくてはならないと、伝えていた。でも、2万人以上が亡くなった。結局、伝わっていなかったんだ。伝えるのが使命なのに、届いていなかった。我々は命を守れなかったのだ。それを、絶対に忘れるな」

あれから10年。私の声は、届いているだろうか。

万一の時に思い出してもらえるだろうか。

いつも届けることに全身全霊、全力を込めて。

あの時、東京の大きな画面で、お世話になった思い出の中継場所が、津波に飲み込まれるのを、ただ呆然とみていることしかできなかった自分。10年で、少しは成長してお役に立てているだろうか。

お世話になった、たくさんの優しい笑顔が忘れられません。

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テレ東WBS 旅と絵本 3歳と5歳の子育て HP→https://www.kumazakiyuka.com/ 声サンプル→優しめhttps://youtu.be/Ru1hkWsLfZQ 低めhttps://youtu.be/Re3NivCK0Hk