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自分がすき=自分に自信があるではない

自分がすき、きらいの話になるときがある。

そのとき決まってわたしは「いやめちゃすきなんだけど。自分だいすき」と答えるが、そうすると「いいなぁ、私は自分に自信ない」と返ってくることも多い。

言いたい、自分に自信がないのはわかる。だってわたしも自信はないから。

自分がすきということは、自分に自信があるとイコールではないのだ。愛嬌があるから、物事に真摯に取り組めるから、仕事で結果を出しているから、のように、『〜だから→自分に自信があって→自分のことがすき』の流れではない。

できないことのほうが多いわたしは、むしろもっとがんばれよと自分に思う。自信なんてない。

今日なんて、10時に起きたと思ったのに気がついたら12時で(Twitterを見てた)、動かなければとお昼ご飯を食べていたら気がついたら16時で(漫画を読んでた)、眠くなったから寝て、起きたらいま(19時半すぎ)。布団の中で寝っころがりながらこのnoteを書いている。せめて体を起こせと思うが、めんどくさいのだ。もうこのまま朝まで寝てしまいたい。

フリーランスの皮を被った無職なのではないかと思う。そんなわたしが、自信を軸にすきかきらいかを決めれば、そんなのきらいになるに決まってる。でもすきなのだ。「今日までにやろうと思っていた仕事が真っ白だ、なぜだろう」と不思議な気持ちと自己嫌悪が混ざった現在だが、それでも自分への愛はある。

なぜなのか。いままでは「よくわかんないけど自分のことがすきでいられてよかったな、超ラッキー!!」で終わらせていたけれど、せっかくnoteを始めたんだし「なぜ自信がない自分がすきなのか?」を考えてみたいと思う。

なぜなのか、なぜだろう。考えてみた。

①自分の価値=自分のできることではない

まず頭に浮かんだのがこれだった。

できること、できないことで考えたときに、わたしは圧倒的にできないことのほうが多い。そもそもいま布団から出ることさえできていないのだ。知らないことは山ほどあるし、知っているけど理解できないことも数え切れないほどある。

***

会社員時代、職場の先輩と話していたときに、先輩がものすごく自分を卑下していてびっくりしたことがあった。自分にできないことをあれもこれもと上げて、だから自分はだめだよなぁと結論付けていた。

そんな先輩に、「わたしもここがだめだしあれもできないし全然っすよ」と答えたあと、「まぁそれでも自分だいすきだけど」と続けたらあちらもびっくりした顔をしていた。

解せない、という表情だ。自分のだめなところをそれだけ上げたのにすきなの?フェイクか?とでも言いたそうな先輩は、実際に「なんで?」と聞いてきた。「どんなところがすきなの?」

「どんなところっていうか...なんというか、

............存在が????」

存在!!!!と思ったより大きな声で叫んだ先輩は、そのあとすぐなぜか爆笑して、「いいね、存在」と満足そうにしていた。

***

先輩の心情はわからないけれど、先輩との会話の中で、わたしの答えはひとつ出たんだと思う。

存在が、すき。

できないことが山ほどあっても、それは自分の価値に影響するものではない。わたしがそこに存在しているだけで、なんかいい感じ。価値がある。生きているだけで人は価値がある!と熱血先生が言っていたりもするけれど、うん、わかる。

仕事で失敗しても、家事ができなくても、いま布団から出られなくても、わたしがわたしである限り、価値がある。できないことや失敗したことに左右されるものではないのだ。

②「どっちの自分がすきだろう」で決める

これはわたしの考えの癖なんだけど、選択肢に迷ったとき、「どっちの自分がすきかなぁ」で決めることが多い。未来の自分を想像して、Aを選んだときとBを選んだとき、どっちがすきか。かっこいいと思えるか、すてきだと思えるか。

これは、いままでの失敗に起因した考え方でもある。上の人の意見に流されて自分を出さなかったとき、プライドが邪魔して人に頼れなかったとき、世間体を考えて掴むものを決めたとき。その結果が自分にとって納得のいくものではなかったとき、心へのダメージが大きすぎた。

本当はあっちがいいと思ってたのに!本心はわかってたのに!どうしてあっちにしなかったんだろう!これはわたしが選んだ結果じゃないのに!

納得もできず、そんな自分がダサいともわかっていて、余計にみじめな気持ちになった。そのみじめさから少しずつ学び、自分が納得して選んだ道なら、結果がどうであれ気分がいいことも知った。

いまでも、進む方向に迷ったらこの考え方をする。どちらが世間的に見栄えがいいか、もらえるお金が多いか、継続した仕事になるか。そういうのはまるっと捨てて、「どんな自分がすきかなぁ」だけで考える。

そうするとあっという間に答えは出るので、結局迷うときは外部の情報に惑わされているんだなと思うのだ。

③自分のことを大切にしてくれる人のそばにいる

自分のことは自己肯定感のかたまりだと思ってはいるけれど、それが自分の気の持ちようだけでは培われないものだとも思っている。

いくらわたしが「自分の存在がすき!あれもこれもできないけど!」と納得していても、四六時中「こんなこともできないのか、なんてだめなやつだ。もっとがんばれ、情けない自分を認めろ」と囁かれたら、たぶん1週間も経たないうちに「そうか、わたしはだめなやつなのか」に思考回路が変わってしまうと思う。それくらい、人からの言葉の影響は大きい。

だから、わたしは夫のそばにいる。

わたしは過去転職するたびに「まぁどこでも受かるだろうなぁ」と思って面接に行くんだけど(受かる気満々で落ちたことも多々ある)、その姿を見ていた夫は「まぁどこでも受かるでしょ、自分でもそう思うでしょ」とさらっと言ってくれていた。そんな言葉を受けるたびに、自分に対して思う「こんな自分がすき」を肯定されていく気がした。

だから、わたしは祖父母から離れた。

祖父はわたしのことを「お母さんがあんなんでかわいそうだなぁ」と言い、祖母は結婚したわたしに「お料理もっとできるようにならないとね!お仕事は?ちゃんと会社で働いているんでしょ?」と言う。その言葉を受けるたびに、「わたしってかわいそうと思われているのか。料理も完璧じゃなく会社員でもないわたしはだめなのか」という気持ちが頭をもたげてくる。だから会わない。1年に1回、お正月の挨拶だけしている。家族だろうがなんだろうが、一緒にいて心が削れていくなら会わないのが正解だ。

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①から③まで書いてみて、③がとても大きいように思えた。「③自分のことを大切にしてくれる人のそばにいる」で自分のままで過ごしていいと思えて、そのおかげで「①自分の価値=自分のできることではない」と思えるようになって、「②「どっちの自分がすきだろう」で決める」でさらに自分をすきになっていく。

だからこそ、

④自分の心を削る人とは距離を置く

これを忘れてしまうとすべてが壊れる。

それが昔からの友人でも、信頼していた上司でも、育ててくれた家族でも。そばにいて心が消えていく感じがするなら、それは自分にとって必要のない相手だということだ。

世界中の人に愛されることはできないけど、自分の世界を愛する人だけで構築することはできる。そう思ってる。

人と距離を置くことは、自分の対人能力を諦めることではない。嫌いな人ともうまくやることが、自分の成長に繋がると信じ込むのも怖い。

合わない人はいる。こんなに世界は広いんだから、自分を愛してくれる人もいれば、その愛をごっそり奪おうとする人もいる。自然なことだ。どちらが正義で、どちらが悪の話でもない。

違和感を持つ相手と距離を置くことは、自分の心を守ること。自分をすきでいるために、毒を遠くに追いやるということ。

相手を守って自分を犠牲にすれば、自分に見限られてしまうと思うから。自分に愛されるために、自分を守ってあげたいのだ。

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「自信がない自分をどうしてすきなんだろう?」のアンサーは、

①自分の価値=自分のできることではない
②「どっちの自分がすきだろう」で決める
③自分のことを大切にしてくれる人のそばにいる
④自分の心を削る人とは距離を置く

を意識しているから、という結論になりました。いまのところは。環境によって考えが変化するかもしれないから、いまは違うなと感じたら加筆修正していきたいと思います。

ここまで書いたら布団から出る気が湧いてきました。ただいま20:39。ここからが1日の始まりです。今日もよろしくお願いします。

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