見出し画像

だって、生まれてきちゃったから。

ああ、今日も家から出なかった。

朝起きて顔を洗って、ご飯を食べて、やるかぁと机に向かって仕事して、お腹が空いたらまたなにか適当に食べて、また仕事して。

そうして気づいたら、いつのまにか窓の外はとっぷり暗くなっている。家が大好きなわたしからすると、いまの生活はすごく自分に合っていると思う。けれど、いくつかのデメリットもある。

どうしても運動不足になってしまうこと、座りっぱなしで肩や腰の痛みとなかなかサヨナラできないこと、外の季節感がわからなくなること。思考がぐるぐると終わらなく回ってしまうことも、わたしにとってはあまりよくない。

家にいると、情報はネットやテレビで知るしかない。会社員だったときのように、仕事仲間と雑談をすることもできないので、意外な考え方に自分の思考がパッとはじける瞬間もこない。

「こんな仕事がしたい」
「こんな人になりたい」
「いまの自分に足りないものは」
「いまの自分にできることは」

ポツポツと出てくる迷いや焦りが、小さな家の中でぐるぐる回る。ぐるぐるぐるぐる、ぐるぐるぐるぐる。やがて思考はどん詰まりになって、どよんとした空気があたりに充満する。

気持ちがしずむ。このまま、どこにも行けないような気がしてくる。形のない未来をただ不安がって、手のひらにすっぽりおさまるサイズのスマホに、その頼りなさにすら、答えを求め始める。

あぁ、だめだ。こんなときは。

いそいそと、あたたかいモッズコートをクローゼットから出す。ひざの下まである長めのコート。部屋着の上からバサッとはおり、ポケットに小銭だけ入れて、部屋用のもこもこ靴下をはいたままクロックスをつっかけて、外に出る。

エレベーターをおりてマンションの外に出ると、あたりはキンと冷たい空気で満ちていた。わたしはそこにとぷんと入り込んで、すぅはぁと息をしてみる。冷えた空気が胃の中をザバザバと洗い流し、やがて鼻から抜ける。体の中まで冷たくなっていく感覚が、とても心地よかった。

家の中はあたたかい。でもそのあたたかさが、たまにわたしをずぶずぶに溶かしそうになる。

ポケットから小銭を出して、自動販売機でホットの紅茶をひとつ買った。誰も通らなそうな道にひょいと入り込んで、少し錆びたガードレールに寄りかかりながら、ぐびりと飲んだ。

空を見上げたら、暗闇の中で飛行機が赤いランプをチカチカと点滅させて、ゆっくりゆっくり進んでいる。あんなに遠くで、たくさんの人がいま空を飛んでいるんだなぁと思う。

少しずつ冷えていくほっぺたが、寒さでかじかんでくる指が、ぬるくなっていく紅茶が、だんだんとわたしをまっさらにしていくような、そんな感覚。頭の中はからっぽになって、変わらない過去も見えない未来も、たいしたことないように思えてくる。なんてことない、ちっぽけなことに。

そう、だってわたし、ただ生まれてきちゃったものですから。望んだわけでもなく、気づいたら世界にこうして存在していた。生まれてきた理由なんて知らないけれど、それでもいま、ちゃっかり生きているわけですから。

それが事実で、それ以下でもそれ以上でもなくて、どうせ生まれたからにはそれなりに楽しんでやるかと、そう思っているだけで。この先どこまで道が続いていくかわからないから、いまこうしていられる間は、たっぷり満喫しようかなと。自分の命にぺたぺたと、肉付けをしているだけで。

すぅはぁと息をする。体はどんどん冷えてきて、耳がじんと痛くなってくる。目の前を自転車に乗った人が通り過ぎて行った。くるりと周りを見渡すと、灯りがついている部屋がチラホラ見える。

みんなそれぞれ生きてるなぁと、あたりまえのことを思う。人生は個々に過ぎていくもので、そこに重いも軽いもなくて、事実として、そこに命があるだけで。これからもがんばろうとか、自分にできることをしようとか、そんなかっこいい気持ちが湧いてくるわけじゃない。

ただただ、生きているなぁと。その事実の上で、じゃあ、まぁ適当にやってみるかと。冬の冷たい空気の中で、ぼんやりした頭で、そう思うだけ。

いただいたサポートは、おいしいものを食べるために使わせていただきます。巡り巡って文章を書くパワーになります。 もりもり食欲パワ〜!