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「スキ」だけど、「スキ」しないとき。

私はアメトーークでいうところの、「気にしすぎ芸人」だ。いや、芸人じゃないんですけどね。いろいろと気にしすぎてしんどくなってしまう性格。だから、次男にはいつも「気にしすぎやねん!」と呆れられている。ツイッターも、気にしすぎから嫌になっておやすみ中。同じく、noteでもあれこれと気にしすぎてしまうのだ。

私の場合、noteを読むときとその後の行動パターンは、次の5つ。

1 読みはじめる→読み終わる→よかった!→スキ
2 読みはじめる→読み終わる→よかった!→スキ→コメント
3 読みはじめる→長い…→最後まで読めない→そっと去る
4 読みはじめる→読み終わる→ ……… →そっと去る
5 読みはじめる→読み終わる→よかった!→でも、スキしない

そう、5番目なんですよね。気にしすぎのやつ。

フォローしていない人、フォローされていない人のnoteは、「スキ」を押すのになかなか勇気がいる。私自身、どなたであっても「スキ」をいただけるのはうれしいのだけれど、押す側になると色々と余計なことを考えてしまうのだ。その結果、「スキ」と思っても、「スキ」しないまま、そっと立ち去ることも多い。

考えてしまう「余計なこと」というのは何か。

「この人、自分の記事も読んでほしいから押してるんじゃないか」とか、
「こんなおばちゃんのスキはいらんねん」とか、
「スキを押されても、フォローはしませんよ!」とか
「いったいお前は誰やねん」とか。

そんなふうに思われるのが嫌なのだ。特に、息子と同い年ぐらいの若い世代の人だと躊躇してしまう。若い人でもフォロワーさんだと「おばちゃんでも、いいんやで♡」と言ってもらっているようで、安心して押すのですけれどね。笑

また、フォローに関係なく、私が「スキ」を押した時だけ、しばらくして私の記事に「スキ」を押してくれる人もいる。私が「スキ」を押した時だけ、というのが気を使うところなのだ。私が押さない限り、アクションはない。そういう場合は、段々とこちらも押さなくなってしまう。noteを読ませてもらっても、押さない。「スキ」と思っても、押さない。

特に読みたいわけでもないのに、私が「スキ」をするから、仕方なく読んで、「スキ」を返してくれるような…、そんな光景が目に浮かんでしまうのだ。あるいは、読んでないかもですが。

もちろん、私も「スキ」をいただいたお返しに訪問し、記事をいくつか拝見して「スキ」を押させてもらうこともある。けれど、毎度毎度だと「もう、やめときますね。スキなんていって、ごめんなさい」という気持ちになってしまうのだ。そこからは、もうひたすら無言。

こちらからご飯に誘ったらつきあってくれるけど、向こうからは絶対に誘ってくれない。そんな感じですかね。

また、「〜な人とつながりたい」というタグを見て、「スキ」を押すのをやめることもある。自分は「〜な人」じゃないもんな…と、そっと去るパターン。なんとなく嫌われてるのかな…と思って、黙って読んで去るパターンも。

いやぁ、こうして書いていると、明らかに「気にしすぎ」なのだな。実生活でもこんなふうなのだから、つねに人づきあいには疲れてしまう始末。できるだけうざいと思われないよう、息をひそめて生きていきたいのだ。

私の「スキ」もフォローも、うざかったら完全無視で!察しますので!察します!たぶん。

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数ヶ月前に書きはじめたnoteを、やっと公開。自分って、チマチマしてんな…と思って嫌になって下書きに入れて。久しぶりに手を加えてみたけど、やっぱりチマチマしてました。笑 (←そこも、気にしすぎ)

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