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「noteコメント欄」への愛を語る。

noteのコメント欄が好き。大好きだ。

noteをはじめて3年目に入った今もまだ、コメントを書きかけてやめたり、書いても途中で消してしまったりすることが多い。もっと気軽に書いている人も多いのだろうけれど、やはりハードルが高い。何度もコメント欄で会話をしている人にも、書いたり消したりしているぐらいだから、はじめての人に書くときは、かなり意を決しないといけない。

だからこそ、コメントをいただく立場としても、一つひとつのコメントを大切に、お返事を書かせていただいているつもりだ。書いてくださった人も、思い切って…という人もいるかも知れない。何度も書き直してくれたのかも知れない。もちろん、気軽に書いてくださる人も多いだろう。いずれにしても、とてもありがたいこと。

コメントの返事を書かない主義の人もいるし、それはそれでいいと思うのだけれど、思い切って書いたとき、悩みながらやっと書いたときなどは、ちょっと残念な思いになることがある。読まれているならともかく、コメントへの「スキ」もつかない、明らかに読まれていないというケースもあったり。

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そんなことを言いながらも、これまでには書いていただいたコメントに気がつかず、何ヵ月も放置してしまったこともある。そういうときに限って、その方からはじめていただいたコメントだったりするのだ。

できるだけ見落としがないように、ときどき過去記事のコメントの数をチェックしている。コメントの数が偶数なら、返事もれがない。奇数なら、返事を書いていないコメントがあるということ───と思っていたのだが、過去の記事になるとアカウントを削除された方も多く、奇数が続出。結果、返事もれにもつながってしまっている。

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すべてのコメントにお返事を書きたい。

これはもう、noteをはじめてからずっと貫いてきたこだわりだ(お返事がなければ、スルーではなく気がついていないのです。どうか、どうか返事のないコメントを見かけた方は、私に教えてください)。

note開始から2年数ヵ月だけれど、これまで書いた記事はわずか189記事。書きたいときだけ書くというゆったり更新なうえに、定期的に嫌になる(笑)ので、数週間〜1ヵ月ほど放置することもある。それでもここまで続いているのは、3日坊主の私にとっては奇跡的なこと。

それを支えてくれているのは、やはり皆さまからいただけるスキ♡、そしてコメントだ。ダッシュボードを見ると、これまでのコメント数は1800以上。半分は私の返事なので、900以上というところか。ありがとうございます。ありがとうございます。

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自分で書いた過去の記事を読み返すことも多いのだけれど、そんなときは、コメント欄も合わせて読む。今、親しくしている人も、このコメントからお付き合いがはじまったのだなと思ったり、このコメントを読んでこの人のことが大好きになったなぁと思ったり。アカウントが削除され、私の返事だけが残っている場合は、この人どうされてるのかな?と懐かしく思うこともある。

ツイッターでのシェアは多くの人に拡散されていくし、とてもありがたい。一方、noteのコメント欄は拡散こそされないけれど、流れていかずにずっとそこにある。記事を見返したときに、コメントも一緒にふりかえることができる。私も自分の記事や、たくさんの人に読んでほしいと思う記事に出会ったときは、ツイッターでシェアさせてもらうことがあるし、それぞれのよさがあるのだな。

また、ほかの人のコメント欄を見て、そこにコメントを残している人を訪問してみることも多い。そして、そこからつながった絆もたくさんある。

私にとって、noteのコメント欄は「はじまりの場所」であり、「つながる場所」。さらに「ふりかえる場所」でもある。だから、とても大切で、大好きな場所なのだ。

これからも、いただいたコメントを大切にしていきたいし、皆さまのコメント欄にも、おじゃまさせていただければと思っています。とはいえ、最近は仕事が忙しくて訪問もままなりませんけれど。勇気をふりしぼって書いたコメントに、お付き合いいただければうれしく思います。なにとぞ、なにとぞ。


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