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微笑みの国でのもみほぐし

「日本で食べるタイ料理も好きだけど、現地それもタイ人に教えてもらったタイ料理は格別ね」
 番田麻衣子は、バンコクに来ていた。ここはスクンビットと呼ばれるストリートのうち、トンローと呼ばれている通りに近い場所。そこにホテルでの勤務経験のあるシェフが、タイ料理を教えてくれるのだ。

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「ヤムウンセン『春雨のタイ式サラダ(ยำวุ้นเส้น)』も、ホテル出身シェフの言うとおりにすると、盛り付けが上品だわ。それにエビも大きいのを使っている。あんな大海老日本だったらいくらするのかしら」

 麻衣子は、昼食を兼ねた料理教室で英語のレシピを大切そうに、かばんの中に入れるとシェフに手を振って別れる。

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 外は灼熱のバンコク市内、太陽が雲に隠れていたので直接の暑さがなく、その点は歩きやすかった。しかしいろんなところから聞こえる、車からのクラクションの音は、体感温度を確実に上げている違いない。
「さて、待ち合わせのカフェは。あ、ここね」麻衣子は、一緒に来ていた彼、久留生昭二が待つカフェの中に入った。
 バンコクで麻衣子が料理を学ぶ間、昭二はひとりでバンコク市内をうろついている。カフェの中ではすでに、昭二が席に座っていた。

「あ、ごめん。まった!」「おう、いやまあこの店。Wifi無料だったから、時間は十分潰せたよ」スマホを操作しながら一瞬目を麻衣子のほうにむけて答える昭二。麻衣子もコーヒーを注文。それから20分ほどカフェで、時間を過ごした。

「あ、もうこんな時間。急ぎましょう」「マッサージか、でも俺は人に体触れるの苦手なんだよな。マイひとりで行って来たら」と昭二はスマホの画面を見ながら不機嫌そうにつぶやく。
「ええ! また私ひとりじゃん。イヤよ。何で一緒にバンコクに来たのよ。ねえ、タイの古式マッサージは、昨日一緒に見に行ったワットポーというところが本家の正統派よ。それに『揉み返しがない』って評判いいの。だからねぇ、ショウ!一緒に行きましょ。で、終わったらビール飲も!」
 といいながら昭二の右に座って両手で右腕をつかみ、何度も体を揺すっておねだりの表情をする麻衣子。昭二はこういう表情をする麻衣子には弱いのだ。「わ、わかった。ついていってやるよ。だけど、くすぐったくなかったらいいけど」

 そのままカフェを出たふたり。外はまだ暑い。それでもさっきの時間よりは確実に暑さが収まっている気がする。街はさっきよりも人が若干増えた気がした。麻衣子が目指すマッサージ店は比較的近くにる。「ここがいいわ。確か評判良かったんだ」「もうわかんねぇから、マイに任せるよ」
 相変わらず不機嫌な昭二を引っ張るように、日本語表記もあるマッサージ店の中に入った。

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「ここはリーズナブルらしいよ。ねぇ2時間コースでいい」
「に・2時間! そんなに長く揉んで体フニャフニャにならないか」「なるわけないよ。だから私たちに骨があるじゃん」と、よくわからない言い合いをしながら、麻衣子の希望通りにことが運ぶ。

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 ちょうど昼過ぎということで、混んでいなかった。担当のマッサージ師がふたり現れ、彼らの後をついていく。階上にあるマッサージルームに向かう。「ちょっと待ってくれ!」とは昭二。慌ててトイレに駆け込んだ。
 麻衣子は先に階段を上がる。トイレを終えた昭二は慌てて階段をよじ登ってついていく。しかしまだマッサージルームではない。途中のところで腰を掛ける。まずは足を洗うのだ。たらいにお湯が入れられ、そこに足をつける。温度はちょうど良い。それから足を出すとマッサージ師は、たわしのようなものを手にして、足の裏などをこする。そのときにくすぐったさが昭二の体を襲った。「うぅ」声を出すのを抑えながら足に力が入る。麻衣子は心配そうに昭二のほうを向く。しかし昭二は、寸前のところで我慢できた。

 この後専用の上履きを吐く。サンダルと靴はこの場所にある下駄箱に置いた。そして階上までくると、そこは薄暗い空間になっていた。
 マッサージ師は電気をつけてくれる。そこにはベッドが数個並んでいて、端の2つを使うよう指示された。それぞれのベッドにはカーテンがある。カーテンを閉めて、置いてあった専用のマッサージ着に着替える。その間5分ほどであろうか。

 服を脱いで上下ともマッサージ着になったふたりは、仰向けに横になる。ふたりの間にもカーテンがあるが、ここは締める必要もないので開けっ放しにしておいた。
 やがてマッサージ師が来て、マッサージを開始。最初は足からスタートした。先ほどのような、くすぐったさはみじんもない。だが、力いっぱい抑えるときには多少の痛みが全身を襲う。しかし昭二は耐える。なぜかこの痛みが耐えられないと、言ってしまったら、もったいないと感じたのだ。
「痛さは耐えよう。それだけ凝っているということだ、だから我慢して後で体が楽になるのを期待する」と頭の中で考えながら、ときおり襲う痛みを絶えた。
 ちなみに足で痛かったのは、足の指の付け根を攻めたときだろうか?仮に表現するとすれば、指が千切れるような錯覚がする痛みである。
 このときはむしろ麻衣子のほうが、痛さに耐えられなかったようだ。英単語をうまく羅列させながら、痛いことを伝え、マイルドにしてほしいと訴えた。

 足が終わると足の付け根に向かってのマッサージ。左から初めて右にするようだ。ふくらはぎのあたりが凝っているのか?ずいぶん痛い。しかし足指と比べれば大したことはない。そしてここで不思議なことをする。ある部分を手で思いっきり抑えている。数秒後に手を放す。すると血管を抑えていたためか、一気に血が流れている。「血行を良くしているんだな」昭二はそういう気がした。
 次は手に向かう。最初は手のひらと指。こちらは足のような千切れる痛みはない。その後腕と続く。同じように左右片方ずつ行い、何度か手である部分を抑えて、同じように血行を良くする。

 さてどのくらい行われたのかわからない。ジェスチャーと英語で、うつ伏するようが命じられ、肩や背中がもみほぐされていく。肩は相当凝っているようだ。マッサージ師は肩を集中的に力を入れてもみほぐした。最初は不安だった昭二。このころにはずいぶん慣れて、気持ちがほぐれてきた気がした。
 そして最後は座らさせられる。頭と首のマッサージ。次は肩下あたりを、両手で持ち上げる。一瞬体が浮いた気がした。すると腰のあたりから一瞬反対方向に助走をつけるように傾けると、勢い良く左そして右に曲げる。そのとき明らかに指を鳴らすときに出るような音が腰のあたりからした。
 次にマッサージ師は、背中の真後ろにつくと、再び両手首をつかみ思いっきり伸ばす。さらに背中は、足で支えられ持ち上げられる。いわゆるブリッジの体制で体が浮き上がった。そして一気に体を伸びているのがわかる。

 こうしてマッサージは終わった。さすがに二時間のマッサージは非常に長く感じる。しかしの分主一気にもみほぐしてれたからか、体が軽い。カーテンが閉められ、着替える。そしてドリンクが配られて一呼吸。あとはチップをマッサージ師に手渡し、最後に入り口での清算も終えて店を出た。「ショウ、どうだった」と不安そうな麻衣子。「マイこれは良かった。体が軽くなっている」と嬉しそうな昭二。麻衣子はそれを聞くと白い歯を見せて満面の笑みを浮かべた。

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 マッサージが終わると外は暗くなっている。この時間になると灼熱の暑さはなく、ときおり吹く風が涼しい。「出発まであと3時間よ」「今なら十分ビール飲めぞ」
 トンローというエリアからは、タイの都市交通を乗り継ぐ。到着したのはファランボーンという駅。バンコク中央駅と呼ばれているところだ。間もなく空が暗くなりかけていた。ドーム型の駅は早くも表明が付き、美しいイルミネーションの姿を醸し出している。

 そんなドームが見える建物と道路の反対側には、大衆的な店が数軒ならんでいた。「マイわかっているな」と昭二が圧力気味な口調で、麻衣子につぶやく。と同時にそういう店のほうに近づこうとしている。
「わかってるわよ。この後夜行列車で移動だから、バンコク最後の夜を楽しみましょ」

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 タイのビールを飲む。「これはヒョウの顔が書いているぞ」「シンハーだっけ、獅子の柄じゃないのね」「いろいろあるんだろ。日本だってキリンとかアサヒとかあるのと同じだ」
 ビールに合う簡単な料理も注文した。食事というより軽く飲むという感覚。で、適当に注文したものが来た。

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 肉をネギで炒めたようなもの。「見た目は、辛そうじゃないが」と、口に含む昭二。「うん、辛くない美味しい」

「確かにビールに合うと思う。でも絶対に昼間のほうが」麻衣子はそう感じた。ひとり昼に豪華なタイ料理を食べたので、あっちが絶対にうまいと確信している。
 だが昭二はが参加しなかったからわからない。だからうまそうに目をたるませながら口を動かしていた。


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「チェンマイと書いているな」とは昭二。「今度は北部のタイか、バンコクと、どう違うのかしらね」「さあな、行ってみてのお楽しみだろう」

 やがて列車が入ってきた。ゆっくりとホームに到着すると、簡単な掃除が始まっている。ほどなくそれが終わり、さっそく車内に入るふたり。二等寝台車にのりこむ。まだ寝台の用意はされていないが、いずれセットしてくれるのだろう。

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「でも、あのマッサージ良かった。ほんと体が軽い」「でしょ。本当は昼の料理教室も来てくれたら、美味しいタイ料理食べられたのに」
「いいよ。チェンマイでは思いっきり食べてやる」と口を緩ませる昭二。まだ列車は動いていない。でも気持ちの上では早くも夜道を軽快に走り出している。そして鉄道の旅情気分を早くも味わうふたりであった。


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シリーズ 日々掌編短編小説 268

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