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死者との恋愛

 健太郎はひとりでは飲まない酒を静かに飲んでいた。横にはひとり息子の陽太が先に眠っている。
「麻衣、ついに今日思い切ったことをやってしまったよ。本当にお世話になった社長だったけど、辞めるって言えた。お前が夢で教えてくれたからだ。やっぱり俺は料理人の道に戻る。今度は、新しいお店のいち従業員として修行しなおしだ」

 健太郎は10年前に知り合った麻衣と3年の交際の後に結婚。その1年後には、今年6歳になる陽太が生まれた。
 一見幸せだった3人の家庭、が突然不幸に見舞われたのは3年前のこと。その前の年に健太郎は、それまで働いていた食品会社を退職。子供のころからのあこがれだったカフェを開業した。
 しかし、修行経験もなく、手探りで始めたお店。素人料理だったためか、カフェにはなかなか客が来ない。軌道に乗ることなく苦戦。どうにかしなければと、麻衣は夕方から夜の仕事に出かけた。
 
 心配した健太郎は「無理をするな」と何度も忠告したが、麻衣は「大丈夫」と言ってきかない。確かあの日は昼過ぎから雨が降っていた。いつものように傘をさして出かける麻衣。だが生きて戻ってこなかった。帰り際にトラックにひかれて即死。

 健太郎は、自分を責めた。あんなに愛し合っていたふたりの片方が突然目の前から消えた。まだ3歳になろうかという息子を残して。そして彼女のことを忘れなければと、1か月後に店を閉店。
 知人の紹介で、ある貿易会社に中途採用で入社した。

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 それからはしばらくは平和な日々が続いた、麻衣のことは多少は引きずったが、淡々と仕事を続けて忘れることも多くなった健太郎。近所に住む両親に陽太を預けられたので、新しい生活にもずいぶん慣れていた。
 しかし、1年位前から突然麻衣の夢を見始める。最初は「懐かしい」と思っていたくらいであった。しかし以降は3・4日に一度くらい彼女の姿を見るようになる。

 そしてその夢には、何か意味があるように感じはじめた。例えば傘を持っている麻衣がいる。健太郎には意味が分からないまま、麻衣に語り掛けた。もちろん返事はないが、彼女は傘を差しながらある方向を見る。健太郎がその方向を見るとすごく黒くて暗い雲が見えた。
 その日の夕方、会社からの帰り際に突然の雷雨に遭う。この日の朝は晴れ渡っていたが、健太郎は念のためにと折り畳み傘を持ってきていたから、ことなきを得た。

「予知夢かもしれませんね」と同僚が言う。別の同僚は「それ奥様が天使とか守護霊になったのかしら」とも言ってくれる。だから今でも彼女のことを思う健太郎は、守護霊で近くにいると信じると同時にそのことがとても嬉しかった。

 そんな夢が3か月前から大きなテーマを意味するものになる。麻衣がいつも目の前に現れると、黙って後ろを向きそのまま走り出す。健太郎が追いかける。するとある建物の中に彼女は吸い込まれた。
 と、そこはレストランで、厨房の前に来て誰かが鍋をふるっている姿を見届けて夢が覚める。あるいはレストランに入るまでが同じで、今度は店のテーブルで美味しそうにカレーライスを食べて笑顔を見せる麻衣の姿が映し出されて、その場で夢が覚めるという具合だ。

 そんなある日仕事の関係で立ち寄ったレストランを見たりときに、健太郎は身震いをする。それは夢で見た店そのものだったからだ。さらに壁に書いてあるのを見ると「調理人募集」とある。「こ・これだ!」と直感した健太郎。衝動的に店に応募すると即採用された。
 そして会社に退職を告げると「わかった。今度はあきらめずに頑張りなさい」と、意外にもあっさり認めてくれた社長。あたかも応援してくれたようだ。

 だから健太郎はこの日酒を飲んだ。物理的には見えないけど、すぐ横に麻衣がいるはずだから、一緒に祝杯しようと。
 
 こうして、ひとり気分良く酔った健太郎は床に就いた。

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 どのくらいの時間がたったのかわからない。健太郎は眠っていたがいつもと様子が違うことに気づいた。耳元で不思議な音が連続して鳴り響いたたかと思えばと、金縛りのような感覚が全身を走る。「な、か、金縛り?」
 すると体が浮いた感覚。このときシーソーに引かているように体が激しく前後に急速に動いている気がした。
「こ・これは、体外離脱? そうだ、麻衣がそんなことを言っていたな。彼女が言っていたことと同じだ」

「そうよ健太郎」が聞いたことのある女性の声を方を向くと、急激に体が上昇した。どのくらいの高さかはわからない。だが夜空のはるか上空に来た気がする。
 その速度が落ち着くと、そこには初めてデートしたときと同じ、ピンクのワンピース姿の麻衣がいた。「ま・麻衣? 守護霊??」
「そうね守護霊かもね。天使でもいいわ。健太郎は、体外離脱つまり肉体から魂が抜けた状態なの。これで私が健太郎とこうやってコンタクトが取れるのよ」

「どういうこと?君は死んでからはどうなっているの?エンマ大王とかそういう人とかと出会ったの」必死に真相を探ろうと声を荒げる健太郎。しかし麻衣は対照的に静かに首を振る。
「残念ながらこの話は絶対に言えないの。もし言ってしまうと、もう2度と健太郎と会えないから」と麻衣は、少し悲しそうな表情をした。
「ごめん。もう聞かない。でもあの日突然いなくなってしまって本当にさびしかった。みんなも一緒で悲しかったよ」と今度は健太郎のほうが悲しそうな表情をする。

「健太郎ごめんなさい。これは本当に突然起こったことだったから。でも、たぶんそれが私の与えられた運命だったのよ。運命の人と出会えたら私の人生が多分そんなに長くないと。子供のころからなぜだかわからないけど、そんな気がしていた」
 だから健太郎と出会っての数年間は、本当に楽しかったわ。まさかの子供も生めたしね」

 健太郎は目に涙を浮かべながら「でもさびしいよ。無理とはわかっているけど、戻ってきてほしい」
  麻衣は顔を左右に振りながら「人間としては戻れないけど、これからも霊としては、あなたのそばにいられそう。だから一時期あなたが、私のことを思い出したくないとか言ったときには本当に悲しかった。どうしてあんなに愛し合ったのにそんなことを言うのかなって。
 あのカフェはあなたと私の夢。それをあっさり捨てて会社員になっちゃうし」
 健太郎が見ると麻衣の目に涙があふれる。

「ああ、それは本当に悪かった。俺のせいで君を亡くしたことがショックで立ち直らなければならない。だから焦っていたんだ。一時期君のことを忘れたのは君のことを考えていたらもう生きていけないと思ったから。
 でも夢に出てきてくれてから、やっぱり俺は君のことを愛しているとわかったんだ。でもこれからひとりで、どう生きていいのか正直わからない。陽太のこととかもあるし」
「それは大丈夫。与えられた運命のとおり生きて。私ならまた夢でアドバイスできると思う。あの子の人生はあなたにすべて任せるわ。それよりも、やっぱり私は、カフェのときに楽しそうにカレーライスを作っていた、料理人の健太郎に戻って欲しかった」

「だからしばらくの間あの夢が」と健太郎が言うと麻衣は小さくうなづいた。「でもわかったよ。だから決断したんだ。夜の食事のときにも言った通り、会社を辞めて新しいお店で一から修行するよ」
 霊としてたまにこうやって夢で会えるのなら、ひとりでがんばって行ける気がする。麻衣これからもよろしくな」

 健太郎はそういうと、うれしそうな表情の麻衣に近づき自然に抱き合っていた。そして口づけを交わした。このときにはっきり健太郎は生きているときの麻衣と同じ匂い、そして感覚に陥った。肉体がないのに肉体があるかのような不思議な感覚、口をつけたときの触覚で受けた、彼女の懐かしい日々の記憶が全身に甦って来る。

 しかし、この蘇った感覚を終わらせようとする麻衣の一言。
「健太郎、そろそろ時間だわ。また今度会いましょう」
「そんな、麻衣とずっといたい。できれば俺もそっちに連れて行ってくれ!」「ダメ!それだけは、じゃあね」
 そう言うと麻衣はそのまま消えてしまった。その瞬間。何か急速に下に落ちるような衝撃を感じたかと思うと、健太郎は目が覚める。「夢かあ、しかしいつもとは違う」健太郎は、今までに見たこともないような鮮明な記憶の余韻に浸った。
「これが麻衣と新婚旅行で行ったとき、バリ島のホテルで体験したと言ってた、体外離脱というものか。魂が肉体から抜けるって本当にあるんだ」

 健太郎はそうつぶやきながら、目にたまっていた涙を拭いとる。
「麻衣はやっぱりそばにいてくれるんだ。なかなか会えないけど、会えることがわかったからがんばろう。いつもは陽太のために」と、横で気持ちよさそうな表情で眠っている、陽太の額をなでるのだった。




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シリーズ 日々掌編短編小説 255

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