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始まったから、終わる

1998年に生まれた22歳です。

と言うと若い

1998年に生まれた22歳のサッカー選手です。

となるとゴリゴリッと老ける。

渡航してから約4ヶ月が経ち生活には慣れ、サッカーについての理解も少しずつ深まってきた。そんなこんなでスペインでのリーグも終盤に差し掛かり、時の流れの速さを感じると同時に2020-2021シーズンが終わってしまうと思うと焦りが出てくる。
 
 
僕は″もう″22歳だから。
 


小中高の卒業時は次のサッカーのステージを用意してもらえた。でも大学卒業はサッカー選手としての終わりを意識せざるを得なかった。特に就職活動が始まったときは『卒業・引退』を強く意識するようになった。

特にサッカーは選手寿命が短いスポーツなので22歳は若くなく、近年ではユース年代の選手がたくさん活躍していることでさらにそれを感じている。少し上の先輩がプロの世界で活躍して、同世代の選手も活躍しだして、いつのまにか年下の選手をテレビで見るようになった。
活躍する選手が入れ替わるように、小さい頃は憧れの目でみていたテレビに対する見方も大きく変化した。


憧れの目でみていた対象になりたくて大学サッカー部に入部したものの、打ちのめされ、奮起しては転び、の連続で時々弱気になりながらの日々でうまくいった記憶は相当少ない。まあでもそんなものだ。
プロになりたいのに最終学年では数試合しか試合に出れず、出た試合でも結果は残せずといった具合で、目標がどんどん遠ざかっていっているようだった。
 
 

だから、現在所属するクラブでのトライアウトではここに入れなかったら厳しいかもなと感覚で思った。
サッカー選手としての道が閉ざされてしまうんだと、恐怖も感じた。

終わりを意識する


 
終わりを意識するってなんか良くないイメージを抱くかもしれない。でも僕はそうではないと考える。もちろん何かが終わるときは不安や恐怖であったりと僕のように負の感情も出ると思う、その物事に対して強い気持ちや取り組んだ時間が多ければ多いほど、長ければ長いほど。
 

僕たちは全員、終わり(死)に向かっている。
過去に何度も死んできた。
幼稚園生の自分、10代の自分、大学生の自分。
僕の場合、上の3つの自分は終わった(死んだ)。
正確にいえば各カテゴリーでもっと死んでいる。
地域ではそこそこうまかった中学時代も、男臭い高校生活もだ。

 
大学時代は本当に楽しかった。
プロになりたいと本気で取り組む、学部が同じだからみんなで授業を受ける、空きコマにウイイレのカップ戦をする、餃子の王将北朝霞店に通いすぎる。
思い出が何個でも出てくる。
それでも4年生になって時
『あの時もっと、、、、』って思ったのも事実。
例えば僕はサッカー以外だと大学2年の4月くらいに同期のNとTOEICを始めようぜって話していたものの2、3か月に一度話をするだけでずっとせずに大学生活を終えた。
大学2年で大学にも慣れ、楽しくてずっとその時間が続くと思ってしまっていたから始められなかったのかなと反省。

 
大学時代は自由な時間を確保しやすい。
たとえ体育会の部に所属していてもだ。
その時間に何をするかは人それぞれだ。アルバイトをするのもいいし、家でNetflixを観るのもいい。
ただ頭にいれなければいけないのは大学生活は″終わる″ということだ。
 
 
特に大学のように自由な時間が多いとそれが永遠に続くかのように過ごしてしまいがちだ。僕のように。
僕も実際、卒業が近くならないと気づかなかった。
物事は永遠には続かない。
時と共に色褪せ、消えていく。
それを意識することで目の前の出来事や時間の尊さに気づく。
そしてさらに感謝して過ごすことができる。
 
 
人は終わりを意識するとその時間を最大に活用しようとする意識が高まるという実験結果もあるらしい。
僕自身も大学サッカー生活最後の何ヶ月かは最大に活用しようと思ってた。
もうみんなと同じチームでサッカーができなくなると考えたら涙が溢れてきたのを覚えている。
毎日を噛み締めて生きた。だから僕の中でのあの時間は色濃く記憶に残っている。
もちろん日常を常に最後だと考えて生活するのは結構難易度が高い気もする。
でもその考えを持つことは、生活をより豊かにするはずだ。
 
 
 
サッカー選手な僕はまだ死ねない。
出来ることをひとつひとつ積み重ねる。
それでも死はいつかくる。
その日まで戦略的にもがく。
今に感謝して生きる!
 
 
がんばりましょう!

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