落ち込みの押しつけ

相変わらずこの日記を書く時間は毎日パソコンに向かいながら失恋ソングのプレイリストを聴いている。やっぱり失恋の曲は悲しくていい。歌詞はあんまり聞いてないけど。たまに歌詞聞くと女々しくて受け付けない歌詞の時あるから音楽だけ聴き流している。曲調がとても自分の波長と合っている。昔から悲しい曲調ばっかり好きだった。ピアノを習い始めた頃とかはやっぱり短調の曲の方がよく練習に取り組んでいた記憶がある。短調?マイナー調?ちょっとそういう用語はよくはわかっていない。とにかく悲しければ悲しいほどいい。悲しい曲調の音楽を聴くことで元気が出てくる。いや元気はでない。嘘をついた。ただ悲しい映画を見たときとか悲しい曲を聴いた後のあの独特な感情というか空気がすごく好きで自ら摂取しに行きがち。歌詞は女性目線であれば尚良し。どうせ聴くなら女性目線の歌詞でお願いしたい。男性目線の失恋ソングはちょっと胃がもたれる。もたれますよね。悲しいよりも女々しいが勝つ。まあ構わず聴くけど。

今日は朝に父親が母を仕事に車で送った帰りの道中で電柱に車をぶつけてきた。らしい。ぶつけた箇所を確認したら思っていた以上にぶつけていた。自宅付近の狭い道で工事の車と鉢合わせしてしまい道を譲るためにバックしていたら電柱にぶつけたらしい。左折のときに光るライトの部分が割れていた。僕が朝起きたときには既にぶつけた後でリビングにはそれはそれは肩を落とした父が座ってため息をついていて不憫だった。うちは母が結構車好きなのもあって誰かが車に傷をつけるとかなり母の機嫌が悪くなるのでそれを想像してテンションがめちゃくちゃに下がっていたんだろう。その機嫌の悪さはこちらにも影響が来るから勘弁してほしかった。まあ今回はそこまで母の機嫌は悪くなっていなかったので助かったけど。人のため息ってすごく自分の気分も落ち込むからやめて欲しい。ため息つく人っていうのはまあ本当に落ち込んでるのはもちろんだけどその数割かは庇って欲しい慰めて欲しいっていう気持ちが含まれているような感じがして好かない。今日の父親に限った話ではないがあからさまに落ち込んでいるポーズを外に見せる人っていうのは良くないと思う。人に気を遣わせるな。僕は優しい人間に育ってしまっているから仮に100:0で向こうが悪いことをしたとしてもそういう風に落ち込んでいるポーズをとられると責められない。まあ責める気もないけど。責めるどころか気を遣ってしまうから。まあそんなに気にはならないんじゃない、とか声をかけたけど正直めちゃくちゃ気になるレベルの傷だった。めちゃくちゃ傷ついてるねとは言えなかった。言ったらさらに落ち込みそうだから。まあそれだけの傷をつけておいて何もなかったかのような態度をとっていたらそれはそれで少しムカつくかもしれないけど。丁度いいくらいに落ち込んでくれ。まあうちの車に関しては親の金で買っているものだからいくら傷がついていようが責める筋合いはないし責める気もないし傷についてはなんも思わないけど。ただ落ち込みの押しつけはやめて欲しい。誰であってもどういう場面であっても。そういう話。終わり。

万が一お金を捨てようという発想に至った場合のみ僕に引き受けさせてください。リターンはありません。