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はじまりのおはなし

わたしは今、山梨県富士吉田市と西桂町を中心としたハタオリマチで、産地の日々を発信したり、機屋さんとお話をしたり、
ほっとするあたたかさと心躍るわくわくを大切に過ごしています。
将来の夢は「産地の生地を使ったものづくり」です。
今の目標は「産地を身近に感じてもらうこと」です。

今日は、私がハタオリマチに出会うまでのおはなしです。


made in Japan


大学3年の夏、洋服がすきだったわたしはアパレル業界を中心に就活を始めました。そんな中、ある説明会で耳にした
「日本には洋服の生地を作る産地があるんです」
という言葉。
でも、いつも着ていた服にあったのは「made in China」など、「この生地・服は外国で生まれています」という言葉たちだったはず。

「洋服の生地が日本で生まれる?」
今まで考えたこともなかった事実に、わたしはすぐ「日本 産地 服」で検索。そこで出会ったのが株式会社糸編が運営する「産地の学校」でした。

産地の学校や糸編の宮浦さんのInstagramを見ていると、近日、日本の生地を集めたポップアップを行うとのこと。
「行くしかない」
当時なぜこんな熱意が生まれたのかわからないけれど、その熱意に背中を押されるかのように、わたしはいつのまにか会場に足を運んでいました。


ハタオリマチとの出会い


会場はお店の一角に設けられていて、ポールに掛かった布といかにも貴重そうなアーカイブ資料がずらりと並んでいました。

触ったら破れてしまうのでは…と思いながら恐る恐るアーカイブ資料を開いてみると、そこにはテープで貼り付けられた布の数々。

貼り付けているテープは時間と共に変色していて、でもページをめくるたびに布は胸を張るかのようにそこにいて、鮮やかな柄物もあれば無地もあって、「なにこれ面白い」とつい手が止まるような布もあって…
(こんなふうに夢中になっていると、店主の方がひとつのイスを出してくださったことを覚えています(笑))

時間の経過も気にせず、布とその産地が記載された資料を見ていたとき、目に飛び込んできたのは「山梨」の文字。
それはつまり「この布は山梨県で生まれました」という意味。

これがハタオリマチとの出会いでした。

「わたしの地元・山梨にも生地をつくる産地がある?」
20年近く住んでいたにもかかわらず、まったく知らなかったことへの衝撃と職人が生き続け技術を繋いでいる尊さに、ぐっと胸が熱くなったのです。

今度は「山梨 産地 生地」で検索。ここで出会えたのが、株式会社トリッキーが制作するWEBサイト「ハタオリマチ商店街」でした。



この「ハタオリマチ商店街」との出会いをきっかけに、ハタオリマチの魅力に吸い込まれ、約1年後には富士吉田市のおとなり「富士河口湖町」に移住。

そして、わたしはハタオリマチで、「機織り」と向き合う人たちと出会っていくのです。




この約1年間でわたしの人生がぐるっと変わったと言っても過言ではありません。これまでの人生で最も怒涛の1年間でした。
でもわたしがこうして移住し、いまハタオリマチで日々を過ごすことができているのは、わたしに機織りの面白さを教えてくれた人、わたしとまちの人を繋いでくれた人、わたしの夢を応援してくれる人、わたしの将来を考えてくれる人が、このまち「富士吉田」には居るからです。
わたしは富士吉田の人がだいすきです。