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ニッケル・ボーイズ 4月後半の読書。

正しい、とは何か。正義、とは何か。
物事には両面がある。

 黒人のジョージ・フロイト死亡事件の裁判で、白人警官に有罪判決が出された時、私はちょうどこの小説を読んでいた。Black lives matter運動の契機となった、あの事件から約11ヶ月。

 無実の罪でニッケル少年院に送られた真面目なエルウッド少年。
 ニッケルで繰り広げられるのは、虐待と服従、賄賂と不正取引。新参者エルウッドは、有色人種という枷を背負わされており、暗黒の少年院内で、堅実派エルウッドと現実派ターナーの友情が芽生える。

 ニッケルから出る方法は四つある。
その一、刑期を務め上げる。
そのニ、裁判所が介入してくるかもしれない。
その三、死ぬという手がある。
そしてその四、脱走する。  (中略)

次に、真夜中の不眠に苦しんでいるとき、五つ目がある、とエルウッドは思った。
ニッケルをなくせばいい。

 ニッケルでの出口のない毎日。「正しい」ことをしようとしたエルウッドは、さらに深い闇に閉じ込められてしまい、ターナーは救い出そうと一計を諮るのだが、果たしてーー。

  著者コルソン・ホワイトヘッドは本書の中盤以降、ニッケルでの回想部分とNYでの現代部分を交互に描く。ニッケルを「卒業」したエルウッドは、理想を追う若き日の面影もなく、世渡り上手な現実派の中年に変わり果てる。なぜ彼の正義は落ち、性格まで変わってしまったのか。
 私は現実の裏を推察してしまい、最終章へ進む前に、前半を再び読み直さずにいられなかった。どうか噓だと言ってくれ!と読み進む私は、エピローグでその悲しみの淵に沈んだ。
#ピュリッツァ―賞

ワイルド・サイトを歩け


 ニッケル・ボーイズのエルウッドもそうだったが、「ワイルド・サイドを歩け」の主人公・理一も祖母と少年のふたり家族だった。幼少期に両親を失くす経験が、激しい反抗期を過ごすことなく、子供なのに妙に物分かりの良い、大人びた少年に成長させてしまうのだろう。

 大学進学を目指す優等生・理一。幼なじみの馬素と塔には年相応の自分をさらけ出す一方、週末は男娼として街にたつ、光と影の二面性をもつ高校生だった。弱小ヤクザ井島組VSドラッグを転売しようとする若者グループ、台湾製ドラッグをめぐってのドタバタ群像劇は喧嘩や流血がしょっちゅうだが、カラリとして、チャンバラ喜劇のようだった。

 井島の相棒の口癖はこうだ。どうしようもない失態をやらかした時も
「物事は明るい方を見てやんねぇとな」。
 たしかに。暗い方ばかり見てもしゃあないやん、と納得してしまうから不思議だ。#東山彰良

親と子の「よのなか」科

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「学力かゆとりか」「儲かる仕事か好きな事か」など、教育にも人生にも様々な二者択一があるが、最もたいせつな事はどういうモノサシで観るか、に尽きる。

――”因果関係”で物事を観る。つまり、Aの結果起きることは何か、Bという結果の原因は何かと言う関係性を考える力。
――”目的”と”手段”の関係性で物事を観る。つまり、何のためにやるのか、どのようにやるのかを考える力。

 ”なんで原爆が落とされたの?”
の子供の問いに、私たち大人はどう答えるべきなのか。
日本側から観た目、アメリカ側から観た目、他国から観た目。どれも間違ってはいない。答えはひとつじゃない。

冒頭の「正しい」はひとつではないのだ


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