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くま読書 いつか笑える日が来る

今日は、奥田知志さんの書籍を紹介したいと思います。

「いつか笑える日が来る」というタイトルに副題がついていて、「我、汝らを孤児とはせず」と書いてあります。この文面からも伝わってきますが、奥田さんは牧師さんです。

①著者の紹介

まず、奥田知志さんのご紹介から。

日本の牧師。日本バプテスト連盟東八幡キリスト教会牧師、認定NPO法人抱樸理事長、公益財団法人共生地域創造財団代表理事、一般社団法人Colabo理事、北九州市立大学MBA特任教授。(Wikipediaより抜粋)

この「NPO法人抱樸」でホームレスの支援をしているそうです。社会福祉士の方達なんかはご存知の方も多いのではないでしょうか。

ホームレス支援
大学1年の時、先輩に連れられて大阪の釜ケ崎で日雇いで働いている人を支援する活動に参加したのをきっかけにホームレス支援を始める。
1990年、ホームレス支援組織「北九州越冬実行委員会」に参加。事務局長に就任し、1995年より代表となる。
2000年7月、NPO法人北九州ホームレス支援機構(2014年に抱樸に改称)を設立し、理事長に就任。
2004年9月、第34回毎日社会福祉顕彰受賞。
2007年6月、NPO法人ホームレス支援全国ネット発足。代表に就任。
2011年3月24日、菅内閣下における「一人ひとりを包摂する社会」特命チームの第4回会合にてプレゼンテーションを行う。
2020年7月16日、赤坂御所へ招かれ、徳仁天皇・皇后雅子に対し新型コロナウイルス禍での生活困窮者への支援策などの説明を行った。

②抱樸について(著書から)

素を見し樸を抱き、私を少なくし欲を募くす」というのは、老子のことばだそうです。意味は「飾らない姿、素朴な気持ちで。控えめにして、欲張らない」

奥田さんが初めて「抱樸」ということばを知ったのは作家の住井すゑさんの文書の中だそうです。「樸」は荒木。すなわち原木の意味。「抱樸」とは、原木・荒木を受け止めること。

山から伐り出された原木は不格好で、そのままではとても使えそうにない。だが荒木が捨てられず抱かれるとき、希望の光は再び宿る。抱かれた原木・樸は、やがて柱となり、梁となり、家具となり、人の住処となる。杖となり、楯となり、道具となって誰かの助けとなる。芸術品になり、楽器となって人をなごませる。

原木・樸はそんな可能性を備えている。まだ、見ぬ事実を見る者は、今日、樸を抱き続ける。抱かれた樸が明日の自分を夢見る。

しかし、樸は、荒木であるがゆえに、少々持ちにくく扱いづらくもある。時にはささくれ立ち、棘とげしい。そんな樸を抱く者たちは、棘に傷つき血を流す。だが傷を負っても抱いてくれる人が私たちには必要なのだ。樸のために誰かが血を流すとき、樸は癒される。そのとき、私は新しい可能性を体現する者となる。私のために傷つき血を流してくれるあなたは、私の「ホーム」だ。樸を抱く。ー「抱樸」こそが、今日の世界が失いつつある「ホーム」を創ることとなる。ホームを失ったあらゆる人々に今呼びかける。
「ここにホームがある。ここに抱樸館がある」

そしてホームレス自立支援センターとして「抱樸館」が誕生しました。

③ケアの場面において樸を抱くこと

「慈愛」
この本を読んで最初に思ったことば。

奥田さんはたくさんの愛をそそいでたくさんの血を流している。

私も血を流せるだろうか。

ケアの場面でたくさんの「樸」の人々と出会います。

普段、ケアする現場に携わっている方達は肌身に感じていると思いますが、こちらが「助けてあげよう」という勘違いした生半可な気持ちで関わっていると、長くは勤まることはできないと思います。
なぜなら、この「樸」のたとえのように、みなさんが棘を抱いていて、世間一般的にいうと関わりにくい人々ばかりだからです。それは身体もそうですが、社会と関わる中で「樸」自身が傷をつけられ心がふさぎ込んでいる状態で、相手の親切心やあたたかみを素直に受け取れる状態ではなくなってしまっているからです。

新人の介護士さんで「いつもありがとうって言ってくれる人ばっかりじゃないんだ」といって、その人自身が精神を病んで仕事を辞めていってしまう人もいます。

「樸」に接していて「樸」を抱いたがゆえに傷ついた人が、傷に耐えられずに転職してしまう方もたくさん見てきました。

そして、反対に抱かれぬ「樸」もたくさん見てきました。

私は施設で勤めていますが、施設利用に関してある条件に満たない方達がいて、ご利用をお断りする人々がいることを知っています。

そして私はいつも思います。

「ここを利用できない人たちはどうなっていくんだろう」

施設はある程度の環境と人員とルールがなければ運営は成り立ちません。ある程度の線引きをすることで、今利用している人々を守ることにもつながります。これは今のコロナ禍における病院もそうだと思います。

私はその状況に関して異論は全くありません。

なぜなら現場で働いている人たちの多大なる努力を近くで見ているからです。そしてそれは全国的にも見ても、おそらく同じ状況であると思っています。

しかし、あぶれてしまった「扱いにくい」と言われている人々はどうしたらいいんだろう?とも思います。

「樸」はいずれどこかで抱かれる日がやってくるのだろうか。

そのためには、私自身が目の前の「樸」を抱けるように技術をみがくこと。

自身のレジリエンスを高めること。

私だけではない仲間をつくること。

芸術やアートに共に触れて、生きる力を生み出すこと。

地域の中にあるまだまだ知らないたくさんの資源を知ってつなげること。


私自身は奥田さんのように人を慈しむ心が育っていません。たくさんの血は流せないと思っています。

だから、たくさんの物や人の力をかりて、生きることに疲れたり困っている人たちが一瞬でもほっとできる「ホーム」とまではいかなくても、雨風をしのげる止り木を作れたら良いな・・とそんな想いを描いています。
少しでも状況が変わることを願いながら、地道に進んでいきたいと思います。

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